モントゴメリー(読み)もんとごめりー(英語表記)Montgomery

翻訳|Montgomery

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「モントゴメリー」の意味・わかりやすい解説

モントゴメリー
Montgomery, Bernard Law, 1st Viscount Montgomery of Alamein

[生]1887.11.17. ロンドン
[没]1976.3.24. ハンプシャー,アルトン
イギリスの陸軍軍人。 1908年陸軍士官学校を卒業。 10~14年のインド勤務ののち,第1次世界大戦に従軍。その後アイルランドパレスチナに勤務,38年少将,パレスチナ師団長。第2次世界大戦では,42年第8軍司令官として北アフリカでの作戦を指揮し,42年 11月アルアラマインの戦いで,E.ロンメル将軍指揮下のドイツ軍を破り,43年にはチュニジア戦線で再びロンメル指揮の機甲部隊に大打撃を与え,北アフリカからドイツ軍を一掃した。 44年元帥となり,ノルマンディー上陸作戦 (→オーバーロード作戦 ) には,連合国遠征軍副司令官として,イギリス第2軍,アメリカ第1軍,カナダ第1軍などの地上軍を指揮し,ノルマンディー上陸を成功させた。十分軍備を整えたあとで作戦行動に入ることを基本方針としたため,批判されることも少くなかったが,確実な勝利を得ることで,部下士気を高めた。終戦直後,連合国管理理事会イギリス代表をつとめたのち帰国。子爵となり,46年参謀総長に就任。さらに 48年西ヨーロッパ連合最高司令官会議の議長,51~58年北大西洋軍副最高司令官などを歴任した。

モントゴメリー
Montgomery

アメリカ合衆国アラバマ州州都。 1814年に入植が始り,37年市制施行。北部には,炭田鉄鉱床があり,南部にはマツ森林分布。付近の家畜生産地域を背景に発展した都市で,大規模な家畜市場がある。綿花の一大集散地で,製材と人工肥料の製造も盛んである。史跡に富み,州庁は合衆国におけるジョージア風建築物の代表といわれる。付近にマックスウェル空軍基地がある。人口 20万5764(2010)。

モントゴメリー
Montgomery, Richard

[生]1738. ダブリン
[没]1775.12.31. ケベック
アメリカ独立革命期の軍人。イギリス正規軍としてフレンチ・アンド・インディアン戦争参加。 1775年独立戦争に際して,立場を変えてアメリカ愛国派軍准将として参加。カナダ遠征軍を指揮し,ケベック包囲戦中に戦死。

モントゴメリー

「サヒワール」のページをご覧ください。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「モントゴメリー」の意味・わかりやすい解説

モントゴメリー
もんとごめりー
Montgomery

アメリカ合衆国、アラバマ州中央部の都市で、同州の州都。人口20万1568(2000)。アラバマ川の遡航(そこう)の終点近くに位置し、メキシコ湾との間に河川交通がある。周辺地域は肥沃(ひよく)なブラックベルト(黒色土地帯)で、そこから産する綿花、ウシ、酪農製品の取引中心地である。工業も発達し、機械、ガラス製品、繊維・織物、電気製品、肥料、家具、製紙、食品加工業などがある。

 1819年に町となり、37年に市となった。47年に州都となり、綿花市場として栄えた。61年2月には南部連合結成の会議がここの州庁舎で開催され、同年5月まで南部連合の仮首都であった。アラバマ州立大学、ハンティンドン大学の所在地であり、南部連合最初のホワイトハウス(大統領官邸)は現在南部連合国博物館となっている。南北戦争以前に建設された邸宅が多数残っている。市名は独立革命の将軍モンゴメリーRichard Montgomery(1738―75)にちなむ。

[菅野峰明]


モントゴメリー(人名)
もんとごめりー

モンゴメリー

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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