ロンメル(読み)ろんめる(英語表記)Erwin Rommel

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロンメル」の意味・わかりやすい解説

ロンメル
ろんめる
Erwin Rommel
(1891―1944)

ドイツの軍人。教師の子に生まれる。第一次世界大戦ではイタリア戦線で軍功をたて第一級鉄十字章およびプール・ル・メリット勲章を授与された。ナチス党員ではなかったが、ヒトラーを熱烈に支持し、ナチスの青年組織ヒトラー・ユーゲントの軍事教官となり、1938~1939年第二次世界大戦勃発(ぼっぱつ)時には総統本部警備司令官であった。1940年5月機甲師団を率いてアルデンヌ戦線を突破、盛名を馳(は)せた。1941年2月リビアに派遣されアフリカ軍団長となり、巧妙な戦術でイギリス軍を追い「砂漠の狐(きつね)」とよばれた。1942年元帥に昇進するが、同年10月に始まるイギリス軍の反攻を押さえられず、1943年3月にはチュニジアから撤退した。しばらく北イタリアで軍団を指揮したのち、同年12月北フランス海岸防衛を担当した。1944年6月連合軍が北フランスに上陸すると(ノルマンディー上陸作戦)、ヒトラーに休戦を訴えたが相手にされず、反ヒトラー・グループに接近した。ヒトラー暗殺未遂事件の直前に空襲のため重傷を負ったが、1944年10月自殺か大逆罪裁判かの選択を迫られ、自殺し、国防軍葬が行われた。

[吉田輝夫]

『ヤング著、清水政二訳『ロンメル将軍』(1978・早川書房)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ロンメル」の意味・わかりやすい解説

ロンメル
Rommel, Erwin

[生]1891.11.15. ハイデンハイム
[没]1944.10.14. ウルム近郊
ドイツの陸軍軍人。第2次世界大戦における著名な野戦指揮官,勇敢ですぐれた戦略家として知られる。 1910年士官候補生として入隊,第1次世界大戦で勲功をあげ,その後兵器連隊将校として過し,39年ヒトラー親衛隊の指揮をとる。 41年2月リビアのドイツ軍司令官となり,イギリス軍をエジプトに追払ったが,その後の対イギリス戦闘で地中海の海上交通を絶たれたことによる後方の困難さとイギリス軍の優勢のため,チュニジアに退却。 43年3月本国に呼戻され,44年陸軍元帥としてフランスのB軍団を指揮,連合軍の上陸作戦 (→オーバーロード作戦 ) に対処する効果的作戦計画を立てたが,ヒトラーに認められず,同年7月前線視察中にイギリス空軍機の攻撃を受けて負傷した。ロンメルはヒトラーの政策に幻滅を感じており,彼の暗殺計画に反対しなかった。 44年7月 20日暗殺計画は失敗したが,ヒトラーは国民の英雄的存在である将軍を公敵とすることをはばかり,裁判を受けずに自殺すれば,彼と家族の名誉を保障するとの約束のもとに自殺させ,盛大な軍葬を行なった。

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