アレタス(英語表記)Arethas

改訂新版 世界大百科事典 「アレタス」の意味・わかりやすい解説

アレタス
Arethas
生没年:860ころ-932以後

ビザンティンの聖職者,古典学者。ギリシアのパトライに生まれ,907年ころカッパドキアのカエサレアの大主教となった。コンスタンティノープルの大主教であり,9世紀ビザンティンにおける古代ギリシア文芸復興に中心的役割を果たしたフォティオス高弟の一人。アレタスは熱心に古代文人たちの写本を集め,異教・キリスト教の別を問わず,作品注釈を試みた。また彼は名筆家たちに古写本筆写を委嘱し,その中にはユークリッドの数学書,アレクサンドリアクレメンスやエウセビオスらのキリスト教護教論,アリステイデスの弁論集,プラトンの対話集などの,現存する最古のビザンティン小文字写本が含まれている。現在オックスフォードのボドリー図書館収蔵のプラトン写本はアレタスの命により能筆家ヨハネスが895年11月に完成したものであるが,これを1801年クラークE.D.Clarkeがパトモスの僧院で発見してイギリスにもたらした。アレタスの碑詩3編は《ギリシア詞華集》の中に含まれている。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のアレタスの言及

【ナバテア王国】より

…ナバテア人は北アラビア起源の遊牧アラブ人の一派であったが,王国形成にあたっては,アラム文明(文字,隊商組織)とギリシア系文明(都市生活,ギリシア語)を採用した。王国の領土は最初ペトラとその周辺に限られていたが,前1世紀に入ると隊商路沿いに膨張政策をとり,紀元1年ころにはアレタス4世Aretas IVの下に,ダマスクスからヒジャーズ地方までの砂漠周辺部とネゲブ地方を領有し,メソポタミアと南アラビアから地中海にいたる隊商路を掌握した。ナバテア人の社会は長老たちの率いる部族社会であり,遊牧しつつ隊商貿易に従事していたが,王国成立後は世襲の王をいただいた。…

【ガッサーン朝】より

…6世紀の初め以降,ビザンティン帝国から年金を受けつつ遊牧民の侵攻に対して国境防衛の任に当たった。その最盛期はハーリス・ブン・ジャバラal‐Ḥārith b.Jabala(ギリシア名アレタスAretas,在位529‐569)のときで,彼はユスティニアヌス2世の2度のペルシア遠征に従軍,554年にラフム朝の軍とキンナスリーン付近で戦って勝ち,パトリキウスとフィラルクの称号を授けられた。彼は単性論者ヤコブ・バラダイオスを保護し,シリアにおけるヤコブ派教会の確立に貢献した。…

【ポリュデウケス】より

…10巻の辞典《オノマスティコン》を編纂した。伝存のものは,900年ころのカエサレアの大主教アレタス所有の不完全で書込みの多い縮約版の写しである。この辞典は当時流行をみたアッティカ擬古文主義の作文用語集である。…

※「アレタス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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