アリステイデス(読み)ありすていです(英語表記)Aristeidēs

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アリステイデス」の意味・わかりやすい解説

アリステイデス(政治家、軍人)
ありすていです
Aristeidēs
(前520ころ―前468ころ)

古代ギリシアアテネ政治家軍人。富裕な家の出で、ペルシア戦争中のマラトンの戦い(前490)に将軍一人として参加した。紀元前483~前482年テミストクレス海軍拡張策に反対し、陶片追放オストラキスモス)にあった。しかし、2年後大赦によって帰国し、サラミス海戦(前480)で活躍、またプラタイアイの戦い(前479)ではアテネ陸軍の総指揮官となった。前478年には海軍を率い、小アジア沿岸やエーゲ海の諸都市におけるアテネの主導権を確立した。前477年デロス同盟が成立すると、彼は加盟各都市に対する割当金を公正に査定して賞賛された。前4世紀以降の伝承では、彼は「義人」という異名を与えられ、策謀家のテミストクレスと対比された。

[篠崎三男]


アリステイデス(弁辞家)
ありすていです
Aristeidēs
(129―181ころ)

ローマ時代のギリシアの弁辞家。アジアのミュシアの出身。アテネに出て弁論をアッティコスHerodes Atticus(101―177)から学んだが、若くして健康を害し、小アジアに住んで著述講義をした。新ソフィスト時代に属し、『聖談』6巻などの作品を残している。当時は主として文章の美しさから高く評価されたが、現在ではむしろローマ時代の小アジアの社会生活宗教を知る資料としての価値が大きい。

[引地正俊 2015年1月20日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アリステイデス」の意味・わかりやすい解説

アリステイデス
Aristeidēs

前5世紀のギリシアの政治家,将軍。テミストクレスの政敵。オストラシズム (陶片追放) でアテネから追放されたがペルシア勢侵入の直前大赦を得て帰国し,サラミスの海戦ではテミストクレスを助けた。その正直さは有名で,デロス同盟の年賦金額の決定という大任を公正に果たした。

アリステイデス
Aristeidēs

2世紀のアテネの有力なキリスト教護教家。ローマ皇帝ハドリアヌスにあてて,キリスト教弁証論を書いた。護教論としては最初期のもので,以後の弁証論の先駆をなす。この書のシリア語版およびギリシア語版はそれぞれ 1889,91年に発見されている。

アリステイデス[テーベ]
Aristeidēs; Aristides of Thebes

古代ギリシアの画家。3代にわたるテーベ・アッチカ派の画家一家の一人。祖父はエウクセニダスの弟子でアテネに画塾を開いた。アペレスと同時代 (前4世紀後半) で,有名な『都市の陥落』を描いたと伝えられる。

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