ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カエサレア」の意味・わかりやすい解説 カエサレア[パレスチナ]Caesarea of Palaestina(Palestine) 地中海に面した古代パレスチナの港町。ハイファの南方約 35kmに位置する。現イスラエルのキサルヤ。前 22~10年頃ヘロデ大王がフェニキアの町跡にセバステの外港として典型的なギリシア・ローマ式町並みの港を建設,ローマ皇帝アウグスツス・カエサルの名を冠した。ここを基地にヘロデの海軍が黒海にまで遠征した。初期キリスト教にとってもゆかりの地で,ローマに護送される途中使徒パウロがここにつながれ,ラビ,アキバを含む 10人のユダヤ指導者が迫害,殺害された。そのためこの町に発生した反乱がローマ人による 70年のエルサレム破壊へと拡大した。その後ユダヤ地方の行政中心地となって栄えたが,ビザンチン後期から衰退,イスラムとキリスト教勢力の間で争奪が繰返され,1265年マムルーク朝のバイバルス 1世によって破壊された。 1950年以降古代の重要な遺跡が次々と発掘され,キリストを裁いたローマの総督 P.ピラトの碑文も発見された。 カエサレア[マウレタニア]Caesarea of Mauretania 古代アフリカ,マウレタニアの港。現アルジェリアのシェルシェル。カルタゴの商港イオルに由来し,前 25年ユバ2世はマウレタニア王国の首都とし,ギリシア文化を導入,ヘレニズム文化の中心地となった。皇帝クラウディウス1世 (在位 41~54) のときローマ植民市 (コロニア) となり,マウレタニア・カエサリエンシスの州都となった。地中海と大西洋貿易で繁栄し,人口 10万を数えるアフリカ第3の都市となった。のちムーア人,バンダル族に強奪された。 カエサレア[カッパドキア]Caesarea of Cappadocia(Kappadokia) 古代カッパドキアの首都。現トルコのカイセリ。古くマザカと呼ばれ,17年にローマの属州となったのちも首都であったが,遺跡はまったくない。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by
世界大百科事典(旧版)内のカエサレアの言及 【カイセリ】より …人口45万4000(1994)。古くからの交易の中心地で,カッパドキア王国の首都マザカMazakaであり,ギリシア語でカイサレイアKaisareia,ローマ時代にはカエサレアCaesareaともよばれた。4世紀には主教座がおかれた。… ※「カエサレア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」 Sponserd by