改訂新版 世界大百科事典 「アンナイワノブナ」の意味・わかりやすい解説
アンナ・イワノブナ
Anna Ivanovna
生没年:1693-1740
ロシアの女帝。在位1730-40年。イワン5世(ピョートル1世の異母兄で,1682-89年は名目上の共同統治者)の娘。1710年クールランド公に嫁してすぐ夫をうしない,ピョートル2世(在位1727-30)の死後ロシアの帝位についた。即位の際,名門貴族D.M.ゴリーツィンなど最高枢密院の提示した君主権制限の条件を認めたが,一般貴族の支持ですぐこれを廃棄し,彼らのために一子相続制を廃し,土地所有権を強め,貴族子弟の陸軍幼年学校を設け,勤務条件を緩和した。女帝はあまり教養がなく,国務への関心も少なく,クールランド時代からの寵臣ビロンErnst Johann Bironが権勢をふるったが(いわゆる“ビロン体制”),女帝の政治を実質上担って功績があったのは,オステルマン伯Andrei Ivanovich Ostermanとミュンニヒ元帥Burkhard Christoph Münnichであった。2人ともドイツ人であったが,ピョートル1世に仕えた外交官・軍人であり,女帝の時代を“ドイツ人の支配”と特徴づけることには問題がある。
執筆者:鳥山 成人
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報