イラン国営石油会社(読み)イランこくえいせきゆ(英語表記)National Iranian Oil Co.

改訂新版 世界大百科事典 「イラン国営石油会社」の意味・わかりやすい解説

イラン国営石油[会社] (イランこくえいせきゆ)
National Iranian Oil Co.

略称NIOC中東・アフリカ産油諸国の国有石油会社中で最初に設立された。1951年4月,イランのモサッデク政権下で石油産業国有化法案が成立し,それまで同国の石油利権を独占していたアングロ・イラニアン石油会社(AIOC。現,ブリティッシュ・ペトロリアム,略称BP)の資産を接収することによりイラン国営石油が設立された。しかし,アメリカのメジャー5社(エクソンモービルソーカルテキサコ,ガルフ・オイル)が結束してイランの石油を世界市場から閉め出したため,52年から53年にかけてイランの産油量は皆無となり,政治・経済が大混乱に陥り,結局国有化は失敗した。54年9月,アメリカ政府の調停によって,NIOCと,アメリカ系メジャーが新たに参加して結成されたイラン・コンソーシアムとの間に協定が締結された。この結果,イランの原油生産は再びコンソーシアムの手に帰し,NIOCの活動は精製と国内の石油製品販売に限定された。その後73年,コンソーシアムは,その利権,操業をNIOCに直接接収されることに合意し,解体した。ここにイランは,NIOC設立後20余年にして,名実ともに兼ね備わった石油国有化に成功した。78年秋のイラン革命後,NIOCは管理体制に問題を抱えながらも,“真の国有化”をめざして活動中である。
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世界大百科事典(旧版)内のイラン国営石油会社の言及

【石油産業】より

…イランはすでに1951年石油産業を国有化していたが,コンソーシアムとの間に作業請負契約を締結し,実質的には包括的利権協定と同様の操業権を与えていた。しかし73年の新協定でイラン国営石油会社National Iranian Oil Co.(NIOC)が操業権を完全に握り,生産された原油のうち一定量のもの以外はすべてコンソーシアムに販売されることになった。アルジェリアは1967から71年にかけて,ベネズエラは76年に国有化を行い,それぞれ国営石油会社SONATRACH(ソナトラツク)(Société Nationale pour la Recherche,la Production,le Transport,la Transformation et la Commercialisation des Hydrocarbures),ペトロベンPetrovén(Petróles de Venezuela S.A.)を中心とする石油産業体制を築き上げたが,生産された原油はかなりの部分が旧利権保有会社に販売された。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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