現代外国人名録2016 「イヴィチャオシム」の解説
イヴィチャ オシム
Ivica Osim
- 職業・肩書
- サッカー指導者 元サッカー日本代表監督・ユーゴスラビア代表監督
- 国籍
- ボスニア・ヘルツェゴビナ, オーストリア
- 生年月日
- 1941年5月6日
- 出生地
- ユーゴスラビア・ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国サラエボ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)
- 経歴
- 1960年サラエボのジェリェズニチャルでプロデビュー。以後、バレンシア、ストラスブールなどで攻撃的MFとしてプレー。ユーゴスラビア代表としても16試合に出場し、8得点を記録。’64年東京五輪の対日本戦で2ゴールを挙げた。’66年ヨーロッパ選手権イタリア大会準優勝に貢献。’78年古巣ジェリェズニチャルで指導者としてのキャリアをスタートさせ、’84年UEFA杯4強。’86年ユーゴスラビア代表監督に就任し、’90年W杯イタリア大会でベスト8に進出。’91〜92年パルチザン・ベオグラード、’92〜94年ギリシャのパナシュナイコスなどの監督を歴任。’94年わずか12人でスタートしたオーストリアのシュトルム・グラーツ監督となり、2002年までに3度の欧州チャンピオンズリーグ出場を果たした。2003年2月Jリーグのジェフ市原(現・ジェフ千葉)監督に就任。下位の常連だったチームを、走り込むサッカーで再建し、優勝争いの出来るチームに作り上げた。2005年11月にはナビスコ杯優勝でチームに初タイトルをもたらす。W杯ドイツ大会後の2006年7月日本代表監督に就任。U-21日本代表のアドバイザーも兼ねる。ジェフ千葉の監督には息子のアマルが就いた。2007年6月キリン杯優勝、7月アジア杯4位。11月急性脳梗塞で倒れ、12月代表監督を退いた。2008年5月〜12月日本サッカー協会アドバイザー。2009年1月6年間の日本滞在を終え、自宅のあるオーストリアに帰国した。2011年4月ボスニア・ヘルツェゴビナサッカー連盟正常化委員長に就任。以後、民族対立が原因でW杯予選参加も危ぶまれた同国サッカー界を一つにまとめ上げ、2014年W杯ブラジル大会で建国後初めてのW杯出場を果たす(結果はグループリーグ敗退)。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報