ウィーン蜂起(読み)うぃーんほうき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウィーン蜂起」の意味・わかりやすい解説

ウィーン蜂起
うぃーんほうき

1848年のドイツ三月革命の際、オーストリアの首都ウィーンで起こった二度にわたる民衆蜂起。

第1回

1848年3月13日、パリの二月革命の影響下にウィーン民衆は、下オーストリア州議会と宮廷に対しデモを行い、軍隊と市街戦で対抗し、ついに宰相メッテルニヒの罷免と憲法制定国会の招集を実現させた。ウィーン体制の瓦解(がかい)を導いたことに画期的な意義がある。

末川 清]

第2回

ウィーン十月蜂起。オーストリア皇帝がハンガリーにおける国会を解散し、その自由主義的、民族主義的運動の弾圧のため、ウィーン駐屯軍の派遣を命じたのに対し、派遣を阻止するために、労働者や学生軍団や市民軍が1848年10月6日に蜂起し、皇帝軍を敗退させて、ウィーンを制圧した。しかし、10月末、ウィンディシュグレーツ麾下(きか)の皇帝軍により、数日の戦闘ののちに鎮圧された。この「十月蜂起」は、諸民族の間の革命派の連帯を物語っているが、その敗北は反革命への決定的画期となった。

[末川 清]

『良知力著『向う岸からの世界史』(1978・未来社)』

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