ウェイ河平原(読み)ウェイがへいげん(その他表記)Weihe pingyuan

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウェイ河平原」の意味・わかりやすい解説

ウェイ(渭)河平原
ウェイがへいげん
Weihe pingyuan

コワンチョン (関中) 盆地ともいう。中国中部,シェンシー (陝西) 省中部,ウェイ河の中流,下流沿いの盆地。南はチンリン (秦嶺) 山脈,北はホワントー (黄土) 高原にはさまれ,西はパオチー (宝鶏) 市から東はトンコワン (潼関) 県まで約 300kmにわたって延びる。西がせまく,東にいくほど幅が広がる。標高は 400m前後。おもにウェイ河とその支流チン (涇) 河の沖積作用によって形成された。交通の要地で,山に囲まれた要害の地でもあり,さらに古く戦国時代から灌漑農業が行われていた。シエンヤン (咸陽) 市は秦,シーアン (西安) 市は前漢,隋,唐の各代にわたって国都の所在地となった。四方の峠道に関がおかれたため関中の名でも知られる。ウェイホイ (渭恵) 渠,チンホイ (涇恵) 渠,ルオホイ (洛恵) 渠などの用水路がめぐらされた省最大の穀倉で,コムギワタを主作物とする。シーアン市,シエンヤン市には綿紡織染色コンビナートが立地。埋蔵文化財が豊富で,ランティエン (藍田) 県は藍田原人の骨が出土し,シーアン市郊外には新石器時代の半坡遺跡がある。そのほか歴代王朝の陵墓や宮殿跡が多く発掘が続けられている。

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