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西安(読み)セイアン

百科事典マイペディアの解説

西安【せいあん】

中国,陝西省の省都で政治・経済・交通・文化の中心地。古くは長安と呼ばれ,渭水平原の中央にあり,要害の地で水利の便もよく,周〜唐代1000余年の間,しばしば国都となった中国随一の歴史都市である。現在,中国で旧城壁を完全に保存している唯一の古都として知られる。近代史でも,1936年,張学良が蒋介石に国民党と共産党の合作を迫って軟禁した西安事件で有名。2004年に,市内で西北大学の研究グループが日本人遣唐留学生井真成の墓誌を発見し,話題となった。大陸西部,ユーラシアへの交通,産業の要衝で,鉄道,道路網も発達,ハブ空港の西安咸陽国際空港がある。近郷の農村は豊かで,紡績,機械,化学,食品などの工業も盛ん。西北大学,西北工業大学,陝西師範大学などがある。付近に半坡遺跡,秦始皇陵,秦始皇兵馬俑坑など数多くの史跡がある。604万人(2014)。
→関連項目関中陝西[省]平涼

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世界大百科事典 第2版の解説

せいあん【西安 Xī ān】

中国西北区の陝西省渭河(いが)平原の中央にあり,渭河の南に位置し,隴海(ろうかい)鉄道に沿う。同省の省都。面積1144km2,人口293万(1994)。古名は長安。明・清代の西安府治であった。新城雁塔,閰良,碑林,灞橋(はきよう),蓮湖,未央の7区よりなり,行政的には長安県など6県が含まれる。1928年西安市の市制施行,30年西京市と改められたが,43年再び西安市に復した。解放前は製粉,紡織,マッチ等の小工場しかない消費都市であったが,解放後旧城外に大型火力発電所,紡織染色,機械,電機等の大工場が建設され,工業都市に変わった。

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大辞林 第三版の解説

せいあん【西安】

中国、陝西せんせい省の省都。渭水の南岸に位置し、綿織物・製鉄・機械などの工業が盛ん。周・秦・漢・隋・唐の都として栄えた。旧市街は唐の長安の皇城の地に位置する。シーアン。 → 長安

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

西安
せいあん / シーアン

中国、陝西(せんせい)省中部の副省級市(省と同程度の自主権を与えられた地級市)で、同省の省都。略称は鎬(こう)。旧称長安、西京。北京(ペキン)、南京(ナンキン)、洛陽(らくよう)、開封(かいほう)、杭州(こうしゅう)と並んで六大古都に数えられる。歴史的に関係の深い京都市、奈良市のほか、船橋市、小浜市と友好都市提携を結んでいる。人口815万6600、市轄区人口682万1300(2015)。長安、(こゆう)など11市轄区、藍田(らんでん)など2県を管轄する(2017年時点)。
 黄河(こうが)中流の一支流である渭河(いが)の形成する平野のほぼ中央にあり、肥沃な黄土による沖積土壌、適度な温度(年平均14.1℃)、降水量(年561ミリメートル)などの安定した自然条件に恵まれている。[秋山元秀・編集部]

歴史

中国でもっとも早く農耕文明が発達した土地であった。周辺には多くの新石器時代遺跡があるが、とくに著名なものは市東郊にある半坡遺跡(はんぱいせき)で、仰韶文化(ぎょうしょうぶんか)の代表遺跡として知られている。この地域を基盤に原始国家を形成した周は、紀元前11世紀には中原(ちゅうげん)に東進して殷(いん)を破り、黄河中・下流域で最大の勢力となったが、その中心となったのが市西郊の(れいすい)を挟んで建てられた豊京(ほうけい)と鎬京(こうけい)であった。その後、秦(しん)もここに咸陽(かんよう)を置き、前漢の長安に引き継がれ、古代中国の中心都市となった。
 長安は南北朝分裂期においても、前秦、後秦、北周など北朝の国都となり、隋(ずい)、唐代にはふたたび全国の中心となった。しかし経済の重心が南に移行するとともに、長安は政治・文化の中心ではあっても経済基盤に欠けたため、五代の混乱期を経て北宋(ほくそう)になると、都は華北(かほく)平原の大運河に沿う開封に置かれ、以後長安は地方都市となったが、伝統に支えられた特殊な地位をもつ中心地であった。
 明(みん)代に西安府が置かれてからは一般にはその名でよばれるようになった。以後、1928年に西安市が設置され、1933年に西京市と改称されたが、1943年にもとの西安市に改められた。1936年に発生した西安事件は国共交渉史上の重要な事件であった。
 その歴史のなかで都市がもっとも繁栄したのは唐代で、東西9.7キロメートル、南北8.7キロメートルにわたる長方形の都城が築かれ、中央北部に皇城(皇帝の執務処)と京城(皇帝の居処)が置かれ、そのほかは東西南北に整然と走る街路により110余の坊に区画されていた。その中には王侯貴族の邸宅、官庁、寺院、道観などの壮麗な建物がそびえていたほか、東西に市が置かれ、付近では商業、手工業が栄えた。最盛期には城内と郊外をあわせて100万の人口があったといわれる。唐代にはシルク・ロードを通じて西方の文物がもたらされ、長安はその東端にあたる一大国際都市であった。日本からも多くの人が訪れ、長安は日本古代の都市計画のモデルになった。しかし唐末の争乱のなかで都の大部分は廃墟(はいきょ)となり、わずかにかつての皇城を中心とした小規模な城郭が残されるだけであったが、明代にこれを基礎に西安府城が築かれ、これが今日の西安の原型となっている。[秋山元秀]

産業・交通

西北地区の経済、貿易の中心地で、1992年内陸開放都市に指定された。かつては重工業と国防産業に依存する偏重した産業構造であったが、1990年代以降、IT産業などの西安ハイテク産業開発区(高新区)、西安経済技術開発区、人工知能(AI)やバイオテクノロジーなどの西咸新区、航空機工業の西安閻良(えんりょう)国家航空ハイテク産業基地、宇宙開発を中心とする西安国家民用航天産業基地を次々と設置し、外資の誘致と産業構造の転換を進めている。中国西部と中部の経済圏を結びつける接点でもあり、隴海(ろうかい)線、寧西線(南京―西安)、鄭西(ていせい)線(鄭州(ていしゅう)―西安)、高速鉄道の西宝旅客専用線(西安―宝鶏(ほうけい))などが通じる。2011年には地下鉄が開業した。[周 俊]

文化・観光

シルク・ロードの起点であるとともに、古代中国の諸王朝が都を置いたことから、旧跡が豊富である。なかでも、始皇帝陵と数千体の等身大の陶俑(とうよう)(陶製の人間や動物を模した副葬品)が出土した兵馬俑坑は世界的に名高く、1987年ユネスコ(国連教育科学文化機関)により世界遺産の文化遺産に登録された(世界文化遺産)。また、玄奘(げんじょう)の遺骨を納めた舎利塔で知られる興教寺や慈恩寺大雁塔(だいがんとう)、薦福寺(せんぷくじ)小雁塔、漢長安城未央宮(びおうきゅう)遺跡、唐長安城大明宮(たいめいきゅう)遺跡は、2014年に「シルクロード:長安―天山(てんざん)回廊の交易路網」の構成資産として、世界文化遺産に登録されている。始皇帝の阿房宮遺跡、空海(くうかい)が訪れた青龍寺も有名。名勝としては驪山(りざん)をはじめ、秦嶺(しんれい)山脈の美しい自然が広がり、これらも重要な観光資源となっている。
 教育・文化施設も多く、西安交通大学、西北大学、西北工業大学などの高等教育機関や、半坡遺跡博物館、陝西省歴史博物館、関中民俗芸術博物院、石碑を収蔵する西安碑林博物館などがある。
 地方劇の秦腔(しんこう)や影絵芝居の皮影(ひえい)、切紙細工の剪紙(せんし)など、伝統芸術が盛ん。市中心部にはれんが造りの古城壁や600年の歴史をもつ木造建築の鐘鼓楼(しょうころう)など、伝統的な街並みが残る。また、回族やウイグルなどイスラム教徒が居住する回民街があり、清真料理(ハラール料理)の食堂が建ち並ぶ。[周 俊]

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世界大百科事典内の西安の言及

【長安】より

西安の旧名で,中国の代表的な古都の一つ。陝西省渭河平原の中部に位置し,北は渭河に臨み,南には秦嶺がつらなり,西には灃水(ほうすい)が流れ,東には滻河と灞河がある。…

※「西安」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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