ウォルト(その他表記)Das Wort

改訂新版 世界大百科事典 「ウォルト」の意味・わかりやすい解説

ウォルト
Das Wort

ナチスに追われたドイツ亡命作家たちによって,1936年7月から39年3月までモスクワで出版された月刊文学誌。第1回文化擁護国際作家大会(1935年6月,パリ)の際にベッヒャーを中心に相談,編集はブレヒト(デンマーク滞在),フォイヒトワンガー(南フランス),ブレーデル(モスクワ),実務はエルペンベックが当たり,M.E.コリツォーフを通じてソ連の出版所の援助を得て実現した。表題の〈ウォルト〉は言葉,発言を意味し,創刊号に〈真のドイツの言葉が国内では破壊されているので,国境外で守り育てる〉と表明統一戦線の立場から幅広い亡命作家の作品発表の場とするとともに書評欄を充実し,またヒューマニズム論や,古典文学・芸術の遺産としての継承の問題も重視した。なお表現主義からナチス支持になった作家をどうみるかに始まった〈表現主義論争〉には15人もが次々に寄稿,ソ連でのフォルマリズム批判ともからみ,やや混乱するが,当時の状況をよく示す論争であった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウォルト」の意味・わかりやすい解説

ウォルト
Worth, Charles Frederick

[生]1825. リンカーンシャー
[没]1895.3.10. パリ
オートクチュールの創始者。ワースともいう。イギリス生まれの男性ドレスメーカー。ロンドンの服地店で修業ののち,1846年パリに渡り,当時の有名な婦人服店ブティック・ガジェランにおいてデザインの才能を発揮。妻をモデルに作品を着せショーを開き,最初に生きたマヌカンを使ったことでも知られている。 1858年,ラペ街に自身のクチュールハウスを開き,顧客の注文に従うのみでなく,デザイン上の創作性をも標榜するオートクチュールの基礎を築いた。 1860年,ナポレオン3世妃ウージェニーの専属および王室指定のドレスメーカーとなり,テーラーメードの婦人服,シースラインなどの流行をもたらした。

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世界大百科事典(旧版)内のウォルトの言及

【表現主義】より

…カール・アインシュタインCarl Einstein(1885‐1940)の《ベビュカンBebuquin》(1912)も,孤独を希求しつつ孤独に耐えられない分裂した自我の様相をそのまま写し出す錯綜した構成と文体をもつ異色作である。 表現主義の評価をめぐっては,1937‐38年にドイツ亡命作家の雑誌《ウォルト》誌上で討論が続いた。いわゆる〈表現主義論争〉である。…

※「ウォルト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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