ワース(読み)わーす(英語表記)Louis Wirth

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ワース」の意味・わかりやすい解説

ワース(Louis Wirth)
わーす
Louis Wirth
(1897―1952)

ドイツ生まれのアメリカの社会学者。1911年に渡米、1914年にシカゴ大学に入学。社会学をパークバージェストマススモール、社会心理学をミードに学ぶ。1932年にシカゴ大学準教授に就任したあと、他大学に転出、フランス、ドイツでも教鞭(きょうべん)をとるが、1940年シカゴ大学教授となる。パーク、バージェスを継ぐシカゴ都市社会学の代表的研究者で、都市社会学に残した足跡の大きさはもとより、思想家、政策家としての幅も広い。1947年にアメリカ社会学会会長、1949年に国際社会学連合初代会長に就任するが、不慮の事故で研究活動の盛期に急逝した。

 少数者問題、都市社会学、社会計画・政策論に及ぶ活動領域のなかで、少数者問題については、シカゴ学派の伝統を伝える『ゲットー』(1928)の都市スラムに関する優れた調査モノグラフを残している。同じスラムでも、社会解体理論にたつワースと、社会構築理論にたつホワイトWilliam Foote Whyte(1914―2000)とでは対立する関係にあるが、両者ともにシカゴ学派の古典的業績を代表していることにはかわりない。とくに第二次世界大戦後の都市社会学の分野では、「生活様式としてのアーバニズム」(1938)の学界での評価が高い。同論文はアーバニズム理論の先駆をなすもので、ワース・モデルとして欧米および日本の都市社会学研究の中心概念を構成している。社会計画・政策論については、遺稿集『コミュニティ生活と社会政策』(1956)がワース未亡人の手で編纂(へんさん)されている。同著は、全体を通して、少数者問題を含む都市コミュニティの社会設計に関する鋭い見識とあわせて、時の大統領フーバーの政策顧問的役割も担っている。

[奥田道大 2018年12月13日]

『高橋勇悦訳『生活様式としてのアーバニズム』(鈴木広訳編『都市化の社会学 増補版』所収・1978・誠信書房)』『今野敏彦訳『ゲットー ユダヤ人と疎外社会』(1981・マルジュ社)』『W・F・ホワイト著、奥田道大・有里典三訳『ストリート・コーナー・ソサエティ』(2000・有斐閣)』


ワース(Alexander Werth)
わーす
Alexander Werth
(1901―1969)

イギリスジャーナリスト。帝政ロシア時代にサンクト・ペテルブルグに生まれ、革命後イギリスに移住して帰化。グラスゴー大学卒業後、新聞記者になり、第二次世界大戦中『サンデー・タイムズ』のモスクワ特派員として活躍し、戦後もしばしば訪ソして旧ソ連に関する多くの著作を残した。おもなものに『戦うソビエト・ロシア』『変わるソ連』『ロシア――希望と懸念』などがある。

[木村明生]

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改訂新版 世界大百科事典 「ワース」の意味・わかりやすい解説

ワース
Wace
生没年:1110?-80?

アングロ・ノルマンの詩人,歴史家。ジャージー島で生まれ,おもにフランスで教育を受けた後,イギリス王ヘンリー2世の庇護を受け,ノルマンディーのカンで著述に励んだ。特にジェフリー・オブ・モンマスのラテン語の著作《ブリテン列王史》をフランス語韻文に自由訳した《ブリュ物語Roman de Brut》(1155)は,12世紀後半以降の騎士道物語に大きな影響を与えた。これはアーサー王の事跡についてのフランス語による最初のまとまった記述を含み,また単なる翻訳にとどまらず多くの細部が書き加えられている。とりわけ,騎士の席次の上下を無化する〈円卓〉のモティーフはジェフリーの原作にみられなかったもので,これはワースがケルト古説話から導入したのである。ほかに,ロロンの侵入からヘンリー1世までのノルマン公家の歴史を叙述した《ルー物語》(1160ころ),ラテン語からの訳書として《聖女マルグリット伝》《聖ニコラ伝》などがある。
円卓物語
執筆者:


ワース
Charles Frederick Worth
生没年:1825-95

イギリス出身のファッション・デザイナー。パリ・ファッションの父といわれている。ロンドンで修業して,パリに出た。当時のフランスは第二帝政時代に当たり,華美な女性文化が栄えていた。ワースの服は1851年のロンドン博覧会や55年のパリ博覧会に出品されて評判になり,60年にはオーストリア大使メッテルニヒ公夫人のガウンをつくり,やがて皇帝ナポレオン3世の妃ウージェニーの専属デザイナーとなった。ウージェニーはファッションの中心であったから,ワースの服は世界的に知られるようになった。71年に帝政が倒れ,フランスが共和国になったとき,ワースはアメリカにもデザインを売るようになり,パリの流行が世界の中心となるきっかけをつくった。この年には1200人のスタッフを使っていた。ファッション産業を確立し,またファッションを芸術として高めた功績により,〈偉大なるワース〉といわれる。死後,息子たちがフランス国籍を得たためウォルトと呼ばれるようになり,現在もこの名で香水部門が維持されている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ワース」の意味・わかりやすい解説

ワース
Wirth, Louis

[生]1897.8.28. ゲミュンデン
[没]1952.5.3. ニューヨーク,バッファロー
ドイツ生れのアメリカの都市社会学の先駆者の一人。 1911年アメリカに移住,26年シカゴ大学で社会学の博士号取得。 47年アメリカ社会学会会長,49~52年国際社会学会の初代会長をつとめた。彼は人間生態学的研究を都市人の生活様式や生活意識の研究にまで深め,アーバニズムの理論を展開させ,さらに社会学を理論にのみとどめることなく,実践活動の領域にまで拡大させた。主著『ゲットー』 The Ghetto (1928) ,『生活様式としてのアーバニズム』 Urbanism as a Way of Life (38) ,死後まとめられた『コミュニティー生活と社会政策』 Community Life and Social Policy (56) 。

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367日誕生日大事典 「ワース」の解説

ワース

生年月日:1897年8月28日
ドイツ生まれのアメリカの社会学者
1952年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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