日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
ウマル・アル・ハイヤーミー
うまるあるはいやーみー
Abu 'l-Fath ‘Umar ibn Ibrāhīm al-Nīsābūrī al-Khayyāmī
(1048?―1131?)
イスラムの数学者、天文学者、詩人。通称はオマル・ハイヤムOmar Khayyam。イラン北東部ニシャプールに生まれる。愛と自由をたたえた四行詩『ルバイヤート』Rubā'iyātの作者として有名であるが、数学者、天文学者としての業績が大きい。
その『代数学』al-jabrには、二次方程式の幾何学的、代数学的解法があるほかに、13種の三次方程式を認め、それらすべてを解こうと試みて、その多くに部分的な幾何学解法を与えている。ただ、その際、負の根を考慮していない。彼はユークリッドの『原論』Stoikheiaの公準と定義とを研究している。天文学では、セルジューク王ジャラール・アル・ディーン・マリク・シャーJalār al-Din Malik Shāhの求めで、1074年ごろイスファハーンの新しい天文台でペルシア暦(1年が365日)の改良に従事した。彼の改良した暦は「ジャラール暦」al-Ta'-rīkh al-Jālarīとよばれ、これは約5000年に1日の誤差しか生じることがなく、その点では、3330年に1日の誤差のある今日のグレゴリオ暦よりも精確であった。
[平田 寛]