グレゴリオ暦(読み)ぐれごりおれき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「グレゴリオ暦」の意味・わかりやすい解説

グレゴリオ暦
ぐれごりおれき

太陽暦法一種。1582年10月、ローマ法王グレゴリウス13世により施行された。当時使用されていたユリウス暦は1年の平均日数が365.25日であったため、この暦法に従って閏(うるう)日を置いていると、100年間で18時間、1000年で8日近く、実際の季節と相違をきたし、真の春分は暦上の春分よりそれだけ早くなる。16世紀終わりころになると、325年にニカイア宗教会議で定められた3月21日の春分は3月11日となり、10日も早まった状態となった。ときのローマ法王グレゴリウス13世は、1582年の春分が3月21日となるように10日間を省いて10月4日の次の日を15日とし、将来も相違がおきないようにするため、4年に一度閏年を置いたそれまでの置閏(ちじゅん)法を改め、「西暦紀元年数が4で割り切れる年を閏年とする。ただし100で割り切れる年のうち4で割り切れない年は平年とする。閏日は2月28日の次の日に置く」とした。これをグレゴリオ暦という。この置閏法によると1年の平均日数は
 (365日×303+366日×97)/400=365.2425日となり、100年に0.03日、1万年で3日の違いである。1万年で3日の狂いは実際問題として日常生活の妨げとなるほどのものではない。この改暦にはクラビウスが大いに寄与している。グレゴリオ暦は置閏法が簡明であり、しかもその誤差も小さいので、今日世界各国で採用している。

[渡辺敏夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「グレゴリオ暦」の意味・わかりやすい解説

グレゴリオ暦
グレゴリオれき
Gregorian calendar

325年ニケーアの宗教会議で,復活祭の日を決定する必要上,春分の日を毎年3月 21日と定めた。しかしユリウス暦を使っていたので,1582年には実際の春分の日は3月 11日になっていた。そこでニケーアの宗教会議の決議を守るため,ローマ教皇グレゴリウス 13世は 82年の 10月5日から 14日までの 10日間を暦日から除き,将来再びこのようなことが起らないために次の置閏法を制定した。すなわち,西暦年数が4の倍数になる年を閏年とする。ただし 100の倍数の場合,これを 100で除した商が4の倍数でない年は平年とする。たとえば 1700年,1800年,1900年は平年である。この改正によって 400年に3日の閏日が除かれ,1年の平均日数は 365.2425日となった。これをグレゴリオ暦といい,現在にいたるまでなお続けられている。

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