ペルシア暦(読み)ペルシアれき

改訂新版 世界大百科事典 「ペルシア暦」の意味・わかりやすい解説

ペルシア暦 (ペルシアれき)

イランで用いられている太陽暦。イラン暦とも呼ばれる。現在イランでは,イスラム世界全域で用いられているイスラム太陽暦(ヒジュラ暦)のほかに,イスラム太陽暦が併用されている。この暦は,紀元元年はヒジュラ暦と同じ622年であるが,春分の日を元日(ノウルーズNourūz)とするイラン古来の暦に基づく独自のものである。ペルシア暦の基礎は,《ルバーイヤート》の作者で,同時に天文学者・数学者のウマル・ハイヤームによって定められた。彼の手になる暦は,時のセルジューク朝の君主マリク・シャーの称号ジャラール・アッダウラにちなんで,〈ジャラーリー暦〉と呼ばれる。歴史的には,古代イランには,アケメネス朝の宮廷暦と,ゾロアスター教の神格名を各月に冠した宗教暦の2種があった。現行のペルシア暦の月名は後者を受け継いでいる。ペルシア暦は,この地域の自然条件にかなったものであるため,イラン外のアフガニスタンイラクなどにおいても使用されている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ペルシア暦」の意味・わかりやすい解説

ペルシア暦
ぺるしあれき

ペルシアで行われる暦。紀元前500年ごろにエジプトから導入したとされ、セルジューク・トルコがペルシアを支配した1079年に改暦が行われた。エジプト暦と同様に太陽暦で、30日の月を12か月、別に付加日5日を置き、1年は365日である。1年は春分に始まるが、年首をつねに春分に置くことに努力した。そのための置閏(ちじゅん)法として、4年ごとに6日の余日を置き、これを6回、7回、あるいは8回繰り返し、次には5年目に一度6日の余日をもつ年を置く。つまり29年(=6×4+1×5)間に7回(=6+1)の閏(うるう)年を置くか、33年(=7×4+1×5)間に8回(=7+1)の閏年を置くか、37年(=8×4+1×5)間に9回(=8+1)の閏年を置いた。これら3種の置閏法のいずれを行ったか、また置閏周期の何年目に閏年を置いたかは明らかでない。いま33年周期のもの7回と37年周期のもの1回、合計268年(=33×7+37)周期に65閏年(=7×8+1×9)を置くような置閏法によると、1年の平均日数は365.242537日となる。なお、現行ペルシア暦は前半の6か月はすべて30日とし、4年ごとに第12月のあとに1日を挿入して31日とする。暦日夕方から始まる。イスラム教の行事用にはイスラム暦が使われる。

[渡辺敏夫]

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世界大百科事典(旧版)内のペルシア暦の言及

【暦】より

…一方,農事や地租の徴収,あるいはエジプトの〈春風をかぐ祭Shamm al‐nasīm〉やイランの〈春分の祭〉に代表される土着の祭礼は各地に固有な太陽暦に基づいて行われた。例えばエジプトではナイルが増水する8月末を年初とするコプト暦が使われ,シリアでは雨が降り始め種まきが始まる秋を年初とするシリア暦が,またイランでは春分(ノウルーズ)を年初とするペルシア暦が用いられてきた。現在でも,ヨーロッパ化にふみきったトルコ共和国を別とすれば,ヒジュラ暦と古来の太陽暦,それにヨーロッパから伝えられたグレゴリオ暦を併用する地域が少なくない。…

【農事暦】より

…これに対して農事や地租の徴収は,イスラム時代以後においても,各地に固有な太陽暦に基づいて行われるのが慣例であった。エジプトのコプト暦,シリアやイラクのシリア暦,イランのペルシア暦などがこれに相当する。15世紀ごろのコプト暦を例にとってみれば,ナイルが増水する8月末を年初として,月ごとに次のような農事や祭りが定められていた。…

※「ペルシア暦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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