日本大百科全書(ニッポニカ) 「エスキラーチェの乱」の意味・わかりやすい解説
エスキラーチェの乱
えすきらーちぇのらん
スペイン、マドリードで民衆が起こした1766年3月の暴動およびこれに呼応した各地の暴動をいう。ブルボン朝スペインのカルロス3世治下、重臣エスキラーチェEsquilache侯爵が首都風紀取締りの一環としてスペイン人常用の服装を禁じ、フランス風服装を強制する政令を発したことに反発したマドリードの民衆が、政令の撤回、同侯の追放を掲げて蜂起(ほうき)した。この背景には、啓蒙(けいもう)専制君主体制の確立を目ざした諸改革が、根本課題たる大土地所有制の解体をなおざりにしたまま進められたため、年来の凶作と相まって農村の窮乏と都市のパン価格高騰を生じさせたことへの民衆の不満があった。封建的勢力(貴族、教会)が、社会不安の因は多数登用された外国人による国情無視の改革にあると説いたため、改革推進の中心人物でシチリア出身のエスキラーチェ侯が攻撃の対象とされた。民衆のなかに萌芽(ほうが)した民族意識が、排外主義、伝統主義に転化し、封建勢力を利する結果となった。
[山本 哲]