カザンハーン国(読み)カザンハーンこく(その他表記)Qazān Khān

改訂新版 世界大百科事典 「カザンハーン国」の意味・わかりやすい解説

カザン・ハーン国 (カザンハーンこく)
Qazān Khān

キプチャク・ハーン国の継承国家の一つで,1437年チンギス・ハーンの血を引くウルグ・ムハンメドUlug Muḥammed(在位1437-45)がボルガ中流域に建国した。1437-1552年。トルコ語ではKazan Han国名は,1445年以来カザンを首都としたことによる。住民は,おもにトルコ系のブルガールフィン・ウゴル系の諸民族とからなっていたが,全体としてはトルコ・イスラム文化が優勢であった。首都のカザンは,主要な交通路の結節点に位置していたことから中継商業によって栄え,毎年開かれた定期市にはロシアや東方から多くの商人が集まった。カザンがボルガ中流域におけるイスラム文化の中心地となるのもこの時代のことである。カザン・ハーン国は,南西のクリム・ハーン国と関係が深く,クリム・ハーン家からハーンを迎えたこともあった。また,建国以来モスクワ公国とはしばしば戦いを交えた。しかし,16世紀に入るとロシアの圧力は強まり,クリム派とロシア派との抗争が続く中で,1552年イワン4世のロシア帝国に併合された。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のカザンハーン国の言及

【タタール】より

…キプチャク・ハーン国が解体した15~16世紀には,カザン,アストラハン,クリミア,シベリアなど,南ロシアからシベリアにかけて,いくつかのタタールの国家が誕生し,それぞれ異なるタタール人の民族体も現れてきた。このうちのカザン・ハーン国は,15世紀前半に,それまでのボルガ・カマのブルガール国にかわってその地域と住民を支配するようになった国家で,その領域には,カザン・タタールを中心に,バシキール,チュバシ,マリ,モルドバ,ウドムルトなどの諸民族体が派生した。 1552年,ロシアのイワン4世(雷帝)がカザンを占領し,58年にカザン・ハーン国全土を併合するに及んで,これら諸族はロシア帝国の支配下に組み入れられた。…

※「カザンハーン国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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