改訂新版 世界大百科事典 「カラコーゾフ事件」の意味・わかりやすい解説
カラコーゾフ事件 (カラコーゾフじけん)
1866年4月4日,ロシア皇帝アレクサンドル2世が狙撃された事件。カラコーゾフDmitrii Vladimilovich Karakozov(1840-66)は,サラトフ県の没落貴族の家庭に生まれ,カザン大学入学後退学処分を受け,2年後復学したがモスクワ大学に転じ,1865年秋にはここも退学となった。同地で学生運動を基盤とする,いとこイシューティンの率いる結社〈組織〉に加入。行動方針をめぐり結社は分裂し,カラコーゾフは政治テロを標榜した〈地獄〉へ参加し,皇帝暗殺のテロリズムへと傾斜していった。病身のカラコーゾフは単独決行をひそかに計画して首都に潜入,時期尚早を唱える同志の反対を振り切って,白昼散策中の皇帝を襲撃して失敗,その場で逮捕された。カラコーゾフは秘密裁判を経て66年秋死刑になった。しかし成熟しない革命情勢の中での彼の行動は,後年テロリズムの潮流のさきがけとなり,同皇帝は15年後〈人民の意志〉派によって結局暗殺された。
執筆者:左近 毅
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報