日本大百科全書(ニッポニカ) 「カラジョルジェ」の意味・わかりやすい解説
カラジョルジェ
からじょるじぇ
Karadjordje Petrović
(1768―1817)
オスマン帝国に対する第一次セルビア蜂起(ほうき)の指導者。カラジョルジェは「黒いジョルジェ」の意味。本名はジョルジェ・ペトロビッチ。セルビアの一寒村ビシェバツに生まれる。オーストリア・トルコ戦争(1788~91)に際し、オーストリアが組織した義勇軍に加わり、軍事的経験を積んだ。戦争後、故郷近くのトポラに戻り、一時山岳地で対オスマン帝国のゲリラ闘争を続けるハイドゥク(匪賊(ひぞく))と行動をともにした。その後、豚の売買を始め、豚商人として富を築く。オスマン帝国のイェニチェリ(常備軍団)の横暴な行為に対する蜂起の準備が進められると、これに加わり指導者に選出された。不利な国際情勢のなか独立を目ざし蜂起を続けたが、1813年に鎮圧される。ベッサラビアに亡命し、そこでギリシア人の秘密組織「フィリキ・エテリア」(友愛会)のメンバーと接触した。バルカン半島の一斉蜂起を企てるためセルビアに向かうが、当時の支配者ミロシュ・オブレノビチに察知され、殺害された。
[柴 宜弘]