カークーイ朝(読み)カークーイちょう(その他表記)Kākwayhids; Kākūyids; Āl-i Kākūyah

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カークーイ朝」の意味・わかりやすい解説

カークーイ朝
カークーイちょう
Kākwayhids; Kākūyids; Āl-i Kākūyah

11~12世紀,中西部イランを支配したダイラム系 (→ダイラム人 ) 王朝。 11世紀初頭,レイのブワイフ朝に仕えたムハンマド・イブン・カークーヤ`Alā'al-Dawlah Muḥammad "Ibn Kākūyah" (1041/2没) がイスファハン統治を任じられ,ブワイフ朝の衰退に乗じてやがてレイやヤズドをも含む中西部イラン一帯に権力を確立,ガズニー朝およびオグズ族によく対抗した。その没後セルジューク朝の宗主権のもとにレイ,イスファハン,ハマダーンを統治。 1051年にヤズドとアバルクーに配置換えされ,以後セルジューク朝やヤズドのアター・ベグ朝との通婚により 13世紀まで存続した。同朝はイブン・シーナーらの学者,文人の保護者として,またヤズドを中心とする多くのモスク,マドラサ,カナートなどの建設でも知られる。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android