ハマダーン(その他表記)Hamadān

デジタル大辞泉 「ハマダーン」の意味・読み・例文・類語

ハマダーン(Hamadān)

イラン北西部にある商業都市皮革加工・絨緞じゅうたん製造で知られる。古代メディア王国の都エクバタナがあった地。ハマダン

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改訂新版 世界大百科事典 「ハマダーン」の意味・わかりやすい解説

ハマダーン
Hamadān

イラン北西部の同名州の州都。人口49万4378(2003)。ハマザーンHamadhānとも呼ばれた。歴史は古くメディア王国の首都エクバタナの所在地であり,アケメネス朝には夏の宮殿(都)となった。645年ころアラブ・イスラム教徒支配下に入り,もっぱら東西交易の中心地として栄えた。11世紀以降,セルジューク朝イル・ハーン国ティムール朝などの支配をうけ,1724年オスマン帝国が奪取したが,32年カージャール朝下でイラン領となった。19世紀後半にはイラン電信線が敷設され,また,バグダード貿易で繁栄した。その後貿易ルートがペルシア湾ルートに変わると,皮革,じゅうたんなど伝統的産業を除いては,発展から取り残される形となった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハマダーン」の意味・わかりやすい解説

ハマダーン
Hamadān

イラン中央西部,ハマダーン州の州都。テヘラン南西約 280km,アルバンド山麓,標高 1877mに位置する。古代から開けたところで,アッシリア時代にはビットダイウッキ,メディア時代にはアグバタナあるいはハングマタナ (ギリシア語ではエクバタナ) と呼ばれ,メディア王国の首都であったが,その滅亡 (前 550) 後,アケメネス朝時代にも夏の都に選ばれて繁栄し,豪華な装飾を施した宮殿や寺院が建てられた。 642年頃アラビア人に征服され,12世紀後半にはセルジューク朝の首都となった。しかしモンゴル軍による破壊 (1220頃) や,チムールの攻略 (1386) を受けた。 17世紀アッバース1世によって改良美化されたが,18世紀にはイラクとペルシアの争奪の的となり人口が激減した。現在はイランの主要商業都市の一つで,皮革の交易中心地,絨毯の主要生産地。近年発掘された「ハマダーンの遺宝」は有名。イラン=イラク戦争で大きな被害を受けた。人口 34万 9653 (1991) 。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ハマダーン」の解説

ハマダーン
Hamadān

イラン中西部の都市。ギリシア語の古典史料にエクバタナの名で記録される。紀元前7世紀にはメディアの首都とされ,のちにアケメネス朝の夏の都とされる。メソポタミアと東方をつなぐ交易路上に位置し,その後もイラン高原の重要都市として繁栄,セルジューク朝期には一時都とされた。古くからユダヤ教徒が居住する町としても著名であった。

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百科事典マイペディア 「ハマダーン」の意味・わかりやすい解説

ハマダーン

イラン西部の都市。テヘランからイラク国境に通じる道路上の要地で,商業が盛ん。陶器・皮革工場があり,毛織物の産地でもある。古代ペルシア時代にはエクバタナと呼ばれ,メディア王国の主都,アケメネス朝の夏の都でもあった。古代の遺跡が多い。52万5794人(2011)。

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世界大百科事典(旧版)内のハマダーンの言及

【カ(蚊)】より

…双翅目カ科Culicidaeに属する約3000種の昆虫の総称。ハマダラカ亜科Anophelinae,ナミカ亜科Culicinae,オオカ亜科Toxorhynchitinaeの3群に大別される。この中でオオカ亜科のカはいずれも大型で(翅長7~9mmくらい),吸血の機能を欠き,幼虫は他のカの幼虫を捕食する性質をもつ。…

※「ハマダーン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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