ガズニー朝(読み)ガズニーちょう(英語表記)Ghaznavids; Ghaznaviyān

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ガズニー朝」の意味・わかりやすい解説

ガズニー朝
ガズニーちょう
Ghaznavids; Ghaznaviyān

アフガニスタンのトルコ系王朝 (962~1186) 。サーマン朝の武将であったトルコ人奴隷出身のアルプティギーンガズニーに独立して興した。アルプティギーンの奴隷であった第5代のスブクティギーン (在位 977~997) が,ペシャワルを占領,またホラーサーンをも領有して,王朝の基礎を確立。その子マフムード (在位 998~1030) は,スルタンを号し,トランスオクシアナからイスファハンにいたる地を併合。また十数回にわたってインド遠征を敢行し,パンジャブ地方をも領有して同朝の最盛期を現出した。しかし,マスウード1世 (在位 31~41) のとき,中央アジアから南下したセルジューク族のために,ダンダンカーンの戦いで大敗してイランの地を失い,急速に衰退。 12世紀中頃には,新興のゴール朝に首都ガズニーを奪われて,ラホールに移ったが,結局インド領もゴール朝に併合されて滅亡した。同朝治下,特にマフムードの時代は宮廷文化が栄え,有名な『シャー・ナーメ (王書) 』を書いた詩人フィルダウシーや『インドの書』の著者ビールーニーらが出た。

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