改訂新版 世界大百科事典 「カーンバ朝」の意味・わかりやすい解説
カーンバ朝 (カーンバちょう)
Kāṇva
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…シュンガ朝のもとでバラモン教が復興したことは確かであるが,この時代にサーンチーやバールフットの仏塔が修造されているところをみると,仏教迫害は,たとえ行われたとしても一時的なものであったらしい。この王朝はパンジャーブに本拠を置くインド・ギリシア人勢力との戦いなどで疲弊し,10王112年間つづいたあと,大臣のバスデーバVāsudeva(カーンバ朝の創始者)に滅ぼされた。【山崎 元一】
[美術]
シュンガ朝とそれに続くカーンバ朝の美術にはあるまとまりが見られ,一括して扱われるのが一般的である。…
※「カーンバ朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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