プトゥン(その他表記)Bu ston Rin chen grub

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「プトゥン」の意味・わかりやすい解説

プトゥン
Bu ston Rin chen grub

[生]1290
[没]1364
チベット仏教密教教学の大成者,テンギュル編纂者。プトゥン・カチェともいう。カーダム,カーギュ両派のタントラにシャキャシュリーバドラ由来の教学もあわせ学び,最も難解な時輪タントラをよくし,暦学史上でも一時期を画した。その密教はツォンカパやゲレク・ペルサンらの黄帽派にも受継がれた。 (→チベット大蔵経 )

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世界大百科事典(旧版)内のプトゥンの言及

【キチェー】より

… 1524年にペドロ・デ・アルバラードが率いるスペイン軍に滅ぼされるまで,キチェーは広大な版図を誇る王国を形成し,11代の王を継承していた。キチェー王国を築いたのは,13世紀にメキシコ湾岸のタバスコ低地からウスマシンタ川をさかのぼってグアテマラ高地に侵入した,プトゥンPutúnと呼ばれる周辺的なトルテカ族である。言語面ではこの地方の土着語キチェー語が侵入者のチョンタル・ナワ語を吸収したものの,プトゥンは当時後進的だったこの地域を軍事的・文化的に制圧して首長国を築いた。…

【ラマ教】より

…しかし,1204年にチベットに亡命して,インド仏教最後の伝統を伝えたシャキャシュリーバドラ(1127‐1225)に接触した後は,従来の密教のみの立場を改めて顕教,つまり仏教教理の哲学的研究にも熱心な宗派に変わった。14世紀にはタントラ仏教を学ぶものの間にもプトゥン(1290‐1364)のような優れた学者が現れ,現実には中国や日本のように瑜伽タントラの実修を重んじ,無上瑜伽タントラのもつ問題点の克服に関心を寄せはじめた。当時流行した《時輪タントラ》由来の瞑想法にも関連して,すべての人間にあるとされる〈如来蔵〉,つまり仏となる素質が経典に説かれた真意は何にあるのかとの議論がおこった。…

※「プトゥン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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