キューバ人の亡命

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キューバ人の亡命

1959年のキューバ革命後、社会主義化に反発し、米国に亡命するキューバ人が続出。80年には亡命希望者が首都ハバナのペルー大使館に殺到し、フィデル・カストロ国家評議会議長(当時)はボートでの出国容認、港が閉鎖されるまでの約5カ月間に12万人以上が出国した。米国は95年、難民海上で保護した場合は送還するが、米領にたどり着けば滞在を認める「ぬれた足、乾いた足」政策を導入。キューバ系米国人のほとんどはキューバの現体制に反発している。(ヌエボラレド共同)

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