改訂新版 世界大百科事典 「キルワ島」の意味・わかりやすい解説
キルワ[島]
Kilwa Island
東アフリカ,タンザニア中南部のインド洋岸にある小島。1823年,海図を作るために,キルワ島に停泊したイギリス海軍の帆走艦バラクーダ号の士官たちは,ここに古い壮麗な都市の廃墟を発見した。1960年代以来,大規模な考古学的発掘が行われ,中国製の陶器,中国,アラブ,ローマなどの貨幣,ガラス玉などが,石造の住居やモスクがならぶ町とともに発見され,さらに,アラビア語で書かれた《キルワ年代記》が発見されるに及んで,キルワの往時の栄華が語られはじめている。現在では,わずかのスワヒリ漁業民が住むこの島は,7,8~15世紀,南方のモノモタパ王国に産する金を積み出すソファラを支配下において,インド洋交易の西側の一大中心地として栄えた。他の東アフリカ沿岸部の交易都市と同じくキルワでも,アラブやペルシア系の商人たちと原住のアフリカ住民との文化的接触,混血を通じて,独特の都市文化であるスワヒリ文化が発展した。14世紀にこの地を訪れたアラブの旅行家イブン・バットゥータは,世界で最も美しい町の一つであると述べている。当時,町の住民はすでに敬虔なイスラム教徒であった。15世紀末にポルトガルのバスコ・ダ・ガマが喜望峰をまわってインド洋航路を開き,アラブ主導のインド洋交易の時代が200年余り中断する。キルワはこれで衰退し,さらに1587年に内陸のバントゥー民ジンバの攻撃によって滅亡したとされている。
執筆者:日野 舜也
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報