ユグノー(読み)ゆぐのー(英語表記)Huguenot

翻訳|Huguenot

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ユグノー」の意味・わかりやすい解説

ユグノー
ゆぐのー
Huguenot

カルバンの伝統を継ぐフランスのプロテスタント教会の別称。語源は明らかでないが、スイスの国名のドイツ語形Eidgenossen(盟約共同体)からIguenots, Huguenotsと転じたともいわれる。ジュネーブで受けた強い影響をフランスに持ち帰ったカルビニズムの信奉者たちは、1550年代なかばから長老制教会政治、顕著な世俗内禁欲主義の傾向、加えて反王権的姿勢を特色とする独自の流れを形成し始めた。なかにはコンデ、ナバル、コリニーなど高位の有力貴族も含まれる。1559年の「フランス信仰」Confessio Gallicanaはユグノー派の共通のよりどころとなった。

 1560年代に入ると、バロア王朝およびカトリックのギーズ公家との間で激しい武力衝突をきたし、30年に及ぶ宗教戦争の末、アンリ4世のナント王令(1598)によって初めて法的に平等な承認を獲得した。その結果、ボルドー、ナント、ルーアンなど南フランスを中心に富裕な都市がユグノー派の支配下に入り、モントーバンセダンなどの神学院も隆盛をみた。しかし、1685年ルイ14世がナント王令を撤回するに及んで、ユグノーの多く国外に亡命し、高度の技術資力、および勤勉によって各地の近代市民文化の振興に大きく寄与した。

出村 彰]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ユグノー」の意味・わかりやすい解説

ユグノー
Huguenot

フランスのカルバン派教徒 (→カルバン主義 ) の総称。 16世紀初めからフランスに広まった教会改革運動は,政府の弾圧により多くの亡命者を生んでいたが,1559年パリでプロテスタントの教会会議が開かれ,多くをカルバン派の見解に従った信仰告白が作成された。以後信者は増大したが,それとともにカトリックとの対立も激化し,62年「バシーの虐殺」を発端としてユグノー戦争が起った。 72年「サン=バルテルミの虐殺」では多くの死者を出したが,98年ユグノーの信仰の自由を保障する「ナントの勅令」によって戦いは終結をみた。しかし,ルイ 14世は絶対君主のもとでのフランスの統一を望み,1685年「ナントの勅令」を破棄し (→フォンテンブロー勅令 ) ,弾圧を再開した。以後フランス国内で地下運動を続けた信者や反乱 (→カミザール戦争 ) を起した者もいたが,国外に逃亡した者も多く,フランス革命まで彼らの自由を回復することはできなかった。

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