旧教同盟(読み)きゅうきょうどうめい(英語表記)La(sainte)Ligue

改訂新版 世界大百科事典 「旧教同盟」の意味・わかりやすい解説

旧教同盟 (きゅうきょうどうめい)
La(sainte)Ligue

16世紀後半のフランスで,宗教戦争(ユグノー戦争)末期に結成された過激派カトリックの同盟。新旧両派の武力抗争が続く中で,国王の周辺に,王権の強化による平和の回復を目指す穏健派カトリックを中心とした第三の党派〈ポリティーク派Politiques〉が形成され,宗教的寛容の傾向を示し始めたのに対し,異端の撲滅を主張する正統派カトリックが,1576年北フランスのペロンヌにおいて宣言を発し結成した同盟で,ギーズ公アンリ首領と仰いだ。その後,アンリ3世の懐柔策により一時活動が中断されるが,84年王弟フランソアの死により,プロテスタントのアンリ・ド・ナバール(のちのアンリ4世)が王位につく可能性が生ずると,これに徹底的に反対し,同年末のジョアンビル協定によりスペインの財政的・軍事的支援をえて,全国的にプロテスタントに対する武力弾圧に乗り出した。88年には,5月12日パリ・カトリック市民の蜂起(〈バリケードの日〉)により,妥協的なアンリ3世を首都より追放し,ギーズ公がパリを掌握する。これに対し,アンリ3世は,同年末ブロアの全国三部会におけるギーズ公暗殺によって報いるが,これを機に,過激派カトリックの間には,〈暴君放伐論〉の傾向が強まり,国王とも激しく対立するにいたった。ギーズ公死後,同盟は,弟のマイエンヌ公が首領の地位につくが,その内部には二つの潮流が生ずる。第1には,守旧派の大貴族に率いられた勢力であり,マイエンヌ公のブルゴーニュメルクール公ブルターニュ,ジョアイユーズ公のラングドックなどが活動の拠点となった。第2の潮流は,過激派の司祭に率いられた都市下層民のグループであり,パリの〈十六区総代会Les Seize〉に代表される。前者には権益擁護の性格が強かったが,後者は千年王国主義の傾向を示して非妥協的であった。しかし,94年アンリ4世のパリ入城以降,漸次制圧され王権の下に屈した。
ギーズ家
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