クラウディウス[2世]
Claudius Ⅱ, Marcus Aurelius(Valerius)Claudius Gothicus
生没年:220ころ-270
ローマ皇帝。在位268-270年。一兵卒からガリエヌス帝の騎兵隊司令官となり,同帝暗殺後帝位についた。元老院との関係は良好だったが,ガリアの反乱勢力に手をやき,東方ではパルミュラのゼノビアの王権を承認してその強大化を招いた。しかしドナウ方面に進出してアラマンニ族を討ち,さらにゴート人を壊滅させて傭兵やコロヌスとし,〈ゴート征圧者(ゴティクス)〉の称号を得た。シルミウムで病没。のちコンスタンティヌス1世によって父祖と仰がれた。
執筆者:松本 宣郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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クラウディウス2世
生年月日:219年5月10日
ローマ皇帝(在位268〜270)
270年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のクラウディウス2世の言及
【ローマ】より
…属州統治においてはとくに西部では旧来の都市同盟(コイノン)を属州会議(コンキリウム・プロウィンキアエconcilium provinciae)として利用し,皇帝礼拝を許可して帝国の統一を図った。 続く皇帝ティベリウス(在位,後14‐37),カリグラ(在位37‐41),クラウディウス1世(在位41‐54),ネロ(在位54‐68)は,アウグストゥスのユリウス家と,妻リウィアのクラウディウス家の枠内で帝位が移ったので[ユリウス=クラウディウス朝]と呼ばれる。ティベリウスは元老院との協調性において欠けるところがあり,親衛隊長セイアヌスの専断のゆえもあって,政治的密告と恐怖政治が続いた。…
※「クラウディウス2世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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