ゼノビア(読み)ぜのびあ(英語表記)Zenobia

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ゼノビア」の意味・わかりやすい解説

ゼノビア
Zēnobia

[生]?
[没]274以後
古代の隊商都市国家パルミラの女王(在位 267/268~272)。フルネーム Septimia Zēnobia,アラム語名バット・ザッバイ。パルミラはもともとローマの臣従国であったが,夫オデナトゥス暗殺後,実子ウァバラツス(ギリシア名アテノドロス)を擁立して実権を握り,ローマとササン朝ペルシアの対立抗争に乗じて,シリア,小アジア,メソポタミア,エジプトの一部を支配し,隊商帝国を築いた。子に「全オリエントの統治者」(皇帝)を僭称させたが,当時のローマ皇帝アウレリアヌスにアンチオキアとエメサの戦いで敗れ,272年捕虜となってローマに送られた。翌 273年パルミラで反乱が起こったが,ローマ軍に制圧され滅ぼされた。ギリシア文化を受容し,アラビアとローマの軍制を範とした。策謀にたけ,美貌をうたわれ,哲学・詩を愛し,哲学者 C.ロンギヌスを相談役とし,ユダヤ人,キリスト教徒にも寛大であった。アウレリアヌス帝の凱旋式に引き立てられたが,一説によると,のちに許されて元老院議員に嫁し,チボリ荘園に永住した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ゼノビア」の意味・わかりやすい解説

ゼノビア
ぜのびあ
Zenobia

生没年不詳。3世紀後半のシリアのオアシス国家パルミラの女王。パルミラ語ではバト・ザッバイBat Zabbaiという。ゼノビアはギリシア語名。267年、夫でパルミラ王のオダイナトスが没すると、幼年の息子バーバラトスを王位につけて実権を握った。近隣のオアシス国家を支配し、その領域は一時、ユーフラテス川からナイル川にわたった。ローマ帝国に対する協調政策を転換して独立を宣言したが、アウレリアヌス帝の反撃を受け、272年ササン朝ペルシアの援助を求めようとしたとき、ローマ軍に捕らえられた。余生をローマ近郊で安楽に過ごしたとも、連行される途中で断食して自害したとも伝えられる。ペルシア文化の素養をもち、ギリシア文化の摂取に努めた。

[小玉新次郎]

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