改訂新版 世界大百科事典 「クローネンベルク」の意味・わかりやすい解説
クローネンベルク
Leopold Kronenberg
生没年:1812-78
ポーランドにおける資本主義発達の重要な担い手であったユダヤ系ブルジョアジーを代表する人物。同化に熱心な父親の指示でポーランド人の学校に通う。17歳のときハンブルクに出て商売の見習いに従事し,さらにベルリン大学で学ぶ。十一月蜂起の敗北直後にワルシャワに帰って父親の商売を継ぎ,28歳のとき政府から請負ったタバコ専売業で財をなす。33歳で結婚するが,そのときルター派キリスト教に改宗している。社会改革に強い関心を示し,1859年には《ガゼータ・ツォジェンナGazeta Codzienna》紙を買収して時の人気作家J.I.クラシェフスキに論陣を張らせている。一月蜂起では穏健派の指導者として活躍するが,蜂起の敗北後は政治活動から身を引いて事業に専念し,その功績により貴族に叙せられた(1868)。とくに鉄道建設と鉄道経営,さらに石炭採掘や製糖業で活躍し,70年には現在も残る商業銀行を設立,75年には現在の計画・統計大学の前身である商業学校を設立している。
執筆者:宮島 直機
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報