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一月蜂起 いちがつほうき Powstanie Styczniowe

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

一月蜂起
いちがつほうき
Powstanie Styczniowe

ロシアの支配からの解放を求めてポーランドの士族階級 (シュラフタ ) が起した最後かつ最大の反乱 (1863~64) 。クリミヤ戦争後のロシア帝国の政治情勢の流動化を背景として,1862年5月ロシア領ポーランドに急進的な士族階級出身の知識人 (「赤党」) を中心とした蜂起のための地下組織「国民中央委員会」が結成された。

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世界大百科事典 第2版の解説

いちがつほうき【一月蜂起 Powstanie styczniowe】

1863年1月22日,ポーランド王国で起こった蜂起。1855年のロシア皇帝ニコライ2世の死とセバストポリの陥落でロシア帝国内部に変革の動きが始まるが,ロシア領ポーランドでもワルシャワを中心に十一月蜂起以前の体制復活を要求する声が強まってきた。60年後半から過激派(学生,職人)によって街頭デモが組織され始め,61年4月のデモでは多数の犠牲者が出るにいたった。それまでロシア当局に協力的であった穏健派(地主貴族,ブルジョアジー)は,過激派から非愛国的と非難されるのを恐れて当局との協力を拒否するようになった。

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世界大百科事典内の一月蜂起の言及

【ポーランド】より

ニコライ世にいたっては,デカブリストとの接触ゆえに反逆罪に問われていた愛国者協会Towarzystwo patriotyczneのリーダーが憲法の規定に従ってセイムで裁かれたとき,判決が軽すぎるとしてこれを無視し,彼らを勝手にシベリアに送ってしまった(1828)。(2)十一月蜂起 1830年,ワルシャワ歩兵士官学校のビソツキPiotr Wisocki(1797‐1874)を中心としたグループによる十一月蜂起は基本的に,こうしたロシア皇帝の専制的なやり方に対して特権擁護のためにシュラフタが起こした蜂起であった。蜂起はコンスタンタン大公をワルシャワから追い,チャルトリスキを首班とする臨時政府を樹立,さらに保守派の軍司令官を解任,ニコライ1世の廃位を決議するが,ロシアの大軍を前に屈伏,31年9月に終結した。…

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