製糖業(読み)せいとうぎょう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「製糖業」の意味・わかりやすい解説

製糖業
せいとうぎょう

サトウキビ(甘蔗(かんしゃ/かんしょ))やサトウダイコン(甜菜(てんさい)・ビート)など、糖分を比較的多く含む農作物から、砂糖を分離・精製する工業

[保志 恂・加瀬良明]

歴史的展開

世界的には、17世紀に西インド諸島で砂糖プランテーションが組織されてから、甘蔗糖業としてイギリス、フランスを中心に発達した。産業革命期には精糖工場も機械化され、近年化学処理も進んでいる。他方、甜菜を原料とする製糖業は、地中海沿岸を原産地として、1801年、世界最初の甜菜工場がシレジア(現ポーランド領)のキューネルンに設立されて以来ヨーロッパ大陸に広まり、20世紀初めには甘蔗糖の生産をしのぐに至った。とくに甜菜糖を中心とするロシア糖の世界市場進出は目覚ましかった。

[保志 恂・加瀬良明]

近年の動向

第二次世界大戦後の1960~61年の推定産糖量は約5750万トンに達し、終戦直後の2.5倍に増加しており、96年現在の総生産量は1億2400万トンと終戦直後の5.4倍に達した。しかしながら、1970年代以降、80年の天候不良のための大不作を例外として供給過剰傾向にあり、価格はおおむね低迷している。戦後一時期は合成・化学甘味料が流行したが、現在はダイエット食品の甘味料などに若干使われるのみである。ただし、砂糖の消費動向には影響が大きい。甘蔗糖の生産地は、キューバを中心とする西インド諸島、メキシココロンビアブラジルアルゼンチンなどの中南米諸国、インド、パキスタンインドネシア、タイ、フィリピン、中国、台湾などのアジア、南アフリカオーストラリアなどの諸国である。他方、甜菜糖の生産地は、ロシア、ウクライナアメリカ合衆国、ポーランド、ドイツ、フランス、イタリアなどの諸国である。また、主要輸出国は、キューバ、ブラジル、タイ、オーストラリア、ヨーロッパ連合(EU)、ウクライナ、フィリピン、ドミニカ共和国などとなっている。1996年現在の世界の粗糖生産の最大国はインドであり、1515万トンと世界生産量の12.2%を占めている。ついでブラジルが1485万トン(構成比12%)、中国(台湾含む)が757万トン(同6.1%)と続いている。輸出国ではブラジルが最大国で、549万トンと世界全体の輸出量の15.3%を占め、タイが458万トン(構成比12.8%)とこれに次ぎ、オーストラリアが406万トン(同11.3%)と続いている。わが国の粗糖(原料糖)の総輸入量は96年(平成8)現在で165万トンで、世界全体の総輸入量の5.0%と大きな位置を占めている。最大輸入先はタイで71万トン(構成比43%)を占め、ついでオーストラリアが60万トン(同36%)、南アフリカ共和国が16万トン(同9%)となっており、これら3か国からの輸入量が全体の約9割を占め、わが国の砂糖の3分の2は外国からの輸入に頼っているのが現状である。

[保志 恂・加瀬良明]

日本の製糖業

日本で甘蔗糖がつくられたのは、慶長(けいちょう)年間(1596~1615)に奄美(あまみ)大島の直川智(すなおかわち)が中国から技術を習い、黒糖(こくとう)を大島で製造したのが始まりで、江戸中期からは、香川、徳島など西日本各地に広まった。近代的製糖業の開始は、幕末期に薩摩(さつま)藩が洋式機械をオランダから購入して精糖工場を建設し、奄美大島の甘蔗糖(黒糖)の精製を行ったのが最初であり、明治になってイギリス、ドイツから新式機械が続々と輸入され、さらに日清(にっしん)戦争後の台湾領有による原料糖確保を基礎として日本精製糖(現大日本明治製糖)や台湾製糖(のち台糖、現三井製糖)などの大型製糖会社が設立された。また、甜菜糖は、1880年(明治13)北海道に官営工場が設立されたのを始まりとするが、戦前段階では生産があまり振るわなかった。このようななかで西日本各地の在来甘蔗栽培は奄美大島、沖縄などを除いて衰退していった。

 第二次世界大戦後には、台湾を失って日本の製糖業は大きく後退し、原料の粗糖を外国に依存する形で砂糖生産を行ってきた。また、国内生産では、甘蔗糖と甜菜糖の位置が逆転し、1995年(平成7)現在で、甜菜糖の生産量が約65万トン、甘蔗糖が約18万トン、含みつ糖約9000トンとなっている。砂糖の国内消費量は高度経済成長期以降大きく伸びてきたが、その後「飽食の時代」といわれるほど食生活の多様化が進むなかで肥満や糖尿病などの健康上の弊害が社会問題となり、砂糖を使わないダイエット食品などが注目されてきていることに加えて、デンプンからつくられ、砂糖の代用品となる異性化糖の生産増加や米粉調製品、小麦粉調製品などの加糖調製品の輸入急増などによって、近年、停滞から減退する傾向にある。

 甘蔗糖の製糖工場は、いずれも規模は小さく、工場数は年々減少してきており(1994年現在21工場)、沖縄で最大の2900トン工場も外国に比べると小型である。これは、甘蔗糖生産を担っているのが零細農家であることを反映している。

 甜菜糖は、北海道において1965年以降躍進し、80年には54万トン、82年には61万トンと、65年からみて2.5倍に増加したが、その後停滞し、96年には65万トンの生産量となっている。94年現在、製糖工場は、2社1農協(ホクレン農協連)、合計8工場が操業している。

[保志 恂・加瀬良明]

『池本幸三他著『近代世界と奴隷制――大西洋システムの中で』(1995・人文書院)』『川北稔著『砂糖の世界史』(1996・岩波書店)』


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「製糖業」の意味・わかりやすい解説

製糖業【せいとうぎょう】

サトウキビまたはテンサイから粗糖を作り,これを精製糖とする工業。日本では九州南部の諸島や沖縄のサトウキビ,北海道のテンサイが知られる。しかし精糖生産量は1997年度193.6万tで,年間170万t近くの輸入原糖の精製が中心。主な輸入国はタイ,オーストリア。日本の近代的な製糖業は,1896年の日本精製糖の設立に始まる。とくに台湾領有後,植民地経営の基幹として本格化し,台糖大日本製糖を中心に生産を拡大した。1970年代以降,砂糖の国内消費は伸び悩んでいる。主力企業は十数社あるが,消費量を上回る設備能力をかかえているため再編成を迫られた。過剰設備の処理や体質改善とともに,医薬品やバイオテクノロジーへの進出が図られている。→砂糖
→関連項目食品工業

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

改訂新版 世界大百科事典 「製糖業」の意味・わかりやすい解説

製糖業 (せいとうぎょう)

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の製糖業の言及

【砂糖】より

…薩摩藩でも白糖製造に1767年(明和4)以来着手し,ことに1865年(慶応1)にはイギリス人を招いて白糖の洋式製造を始めたが成功せず,国産糖における独占的地位を失った。【原口 虎雄】
【製糖業】
 サトウキビ,テンサイなどの原料作物から砂糖製品を作る工業。日本の製糖業は,国内の原料作物から砂糖を作る砂糖製造業と,外国から粗糖を輸入してそれを精製する砂糖精製業に分けられる。…

【長門国】より

…59年(宝暦9)藩は櫨蠟を城下町萩の豪商2軒の一手扱いとし,晒蠟の製造と領内の販売を独占させ,専売制を強化した。1751年医者永富独嘯庵は長府領内で製糖業をはじめた。これは藩の育成によって,5年後に大坂商人と白糖を年額1万斤,向こう10ヵ年間輸送する契約を結ぶほどになった。…

※「製糖業」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android