改訂新版 世界大百科事典 「コガルニチャーヌ」の意味・わかりやすい解説
コガルニチャーヌ
Mihail Kogǎlniceanu
生没年:1817-91
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…管理諸国の間でも利害の対立があり,イギリスとオスマン帝国は両公国の強化を恐れて統一に反対したが,フランス,ロシアは統一を支持した。クザは首相のコガルニチャーヌと組んで64年には農奴解放を含む近代化の諸立法を行ったが,反対派の勢力も強く,66年には退位を余儀なくされた。議会はホーエンツォレルン・ジークマリンゲン家のカール(ルーマニアではカロル1世)を公に迎え,1866年憲法が制定された。…
※「コガルニチャーヌ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
日本の株式の水準を示す、東京証券取引所第1部225銘柄の平均株価。単位は円。構成銘柄は時価総額の分布の変化などにより、適宜入れ替えられている。現在の形になったのは1985年5月からである。ダウ・ジョー...