ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コンラート4世」の意味・わかりやすい解説
コンラート4世
コンラートよんせい
Konrad IV
[没]1254.5.21. ラベロ
ホーエンシュタウフェン朝最後のドイツ王,シチリア王 (在位 1250~54) 。父の神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世から皇帝位を譲られたが,ローマ教皇より父がしばしば破門 (27,39,45) されていたため,帝位は与えられなかった。 1246年チューリンゲン地方伯ハインリヒ・ラスペ,翌年ウィルヘルム・フォン・ホラントが国内諸侯の支援を受けて対立王となったため,その抗争に苦しんだ。 50年父王の死後シチリア王位を兼ねたが,教皇,イタリア諸都市の反抗にあい,51年シチリアの世襲領を救援するため遠征し,帰途ラベロで病没。以後 73年まで神聖ローマ帝国の大空位時代が続いた。
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