サッラール朝(読み)サッラールちょう(その他表記)Sallārids; Musāfirids; Sālāriyān

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サッラール朝」の意味・わかりやすい解説

サッラール朝
サッラールちょう
Sallārids; Musāfirids; Sālāriyān

10~11世紀イラン北部,ダイラムの地方王朝 (→ダイラム人 ) 。ムハンマド Muhammad b. Musāfir (在位?~941) がタールムのサミーラーン城を拠点に基礎を据えた。彼の死後同朝は2系統に分れ,北西イランに進出した系統はやがてラウワード朝に滅ぼされたが,タールムに残った系統は 10世紀末ブワイフ朝勢力を退けて南方のザンジャーン方面に進出。 11世紀初めガズニー朝の侵攻を受け,1042/3年以降はセルジューク朝の宗主権下に入った。 12世紀初め,アラムートアサッシン派にサミーラーン城を破壊されて滅亡した。

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