シュペアー

百科事典マイペディア 「シュペアー」の意味・わかりやすい解説

シュペアー

ナチスドイツの建築家,政治家。第三帝国時代の最大の建築家。マンハイム生れ。ニュルンベルクの党大会会場(1934年)の膨大な建築計画を担当,ツェッペリン広場は,総統官邸(1939年)などとともに彼の代表的な建築とされる。ヒトラーは1936年以来ドイツ各都市の改造計画に着手,主要な都市には著名な建築家をあてたが,1937年,ベルリン大改造計画の建築総監にシュペアーを任命,後に〈廃墟の前に廃墟を作った〉と評されるこの計画は直ちに実行に移された。1942年,トート機関と呼ばれる軍需機関を率いたトートFritz Todt の死去にともない軍需相に任命され,戦時産業の推進者的役割を果たす。連合国軍の猛烈な空爆下で軍需生産を維持するための巧妙な工場移転などに辣腕をふるった。ニュルンベルク裁判で禁錮20年の刑。服役中に回想録を執筆(1969年刊),ナチスの内幕を分析した。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

改訂新版 世界大百科事典 「シュペアー」の意味・わかりやすい解説

シュペアー
Albert Speer
生没年:1905-81

ドイツの建築家。ナチスの政治家。マンハイム生れ。ヒトラー付きの建築家として,ニュルンベルクの党大会会場(1934),総統官邸(1939)などを手がける。また1937年以降,ベルリン建設総監としてベルリン大改造計画を構想。42年,前任者トートFritz Todtの死去にともない軍需相に任命され,戦時産業の推進者的役割を果たす。ニュルンベルク裁判で禁錮20年の刑を受ける。服役中から回想録を執筆し(1969刊),その後の著作とともに,ナチスの内幕を冷静に分析した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のシュペアーの言及

【第三帝国】より

… 最初のヒトラー付き建築家はトローストPaul Ludwig Troost(1878‐1934)で,ミュンヘンにドイツ美術館,ケーニヒスプラッツの殉職者霊堂などを設計する。第三帝国時代の最大の建築家であり,現在からみても重要な存在はシュペアーであった。彼はニュルンベルクの党大会会場の膨大な計画の大部分の建物を担当する。…

※「シュペアー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android