シレムン(読み)シレムン(その他表記)Shiremün

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シレムン」の意味・わかりやすい解説

シレムン(失烈門)
シレムン
Shiremün

モンゴル帝国の宗室。オゴデイの第3子クチュ (曲出)長子。祖父に愛されて皇嗣に指定されたが,1241年オゴデイが死ぬと,監国 (摂政) 皇后トレゲネ (脱列哥那)は自分の生んだグユク (貴由)を立てようとし,シレムンの年少を理由に,46年グユクハンに選挙された。 48年グユクが死に,トルイの未亡人ソルカクタニと,オゴデイ家とを敵視するバトゥ (抜都)の策動で 51年モンケ (蒙哥)がハンに選挙された。シレムンはオゴデイ家の諸王とともにクリルタイを襲撃しようとして発覚。かねてシレムンと仲のよかったモンケの弟フビライは,シレムンを中国の領地に連れていったが,のちモンケが中国に来てシレムンを溺死させた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

関連語 バトゥ

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む