クチュ(読み)クチュ(その他表記)Küchü

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クチュ」の意味・わかりやすい解説

クチュ(曲出)
クチュ
Küchü

[生]?
[没]1236
モンゴル帝国オゴデイ (太宗) の第4子。闊出とも書く。太宗7 (1235) 年,違約を責めたモンゴル帝国の3征討軍の第2軍を率い出撃。 10月棗陽 (そうよう) を抜き,襄陽,鄧州 (とうしゅう) をかすめ,郢州に入り,人畜多数を略奪して帰還した。翌年2月再び宋の郢州方面を征討中,陣没。オゴデイは後嗣に彼を考えていたという。彼の子シレムン (失烈門)は,グユク (貴由)没後モンケ (蒙哥)帝位を争って敗れた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む