旺文社世界史事典 三訂版 「ジュンガル-ハン国」の解説
ジュンガル−ハン国
ジュンガル−ハンこく
Jungar Khan
ジュンガルはモンゴル系オイラート4部の1つ。ジュンガル−ハン国(ジュンガル王国)の建国については学説が分かれているが,一般的には,1640年ジュンガル部の長バートル=ホンタイジの統率下にオイラート民族国家として創出されたとされる。この年,清朝の台頭を懸念して,外モンゴルのハルハ3ハン部と攻守同盟を結ぶ。その息子ガルダンは内紛を鎮めたのち,ダライ=ラマ5世から,1671年ホンタイジ,78年ハンの称号を授かる(在位1678〜97)。その10年後ガルダン=ハンはハルハ(外モンゴル)に侵攻するが,1696年康熙帝の親征軍に大敗。その没後,ジュンガル王国は天山南路の支配権を強化したほか,西のカザフ地区へも侵攻した。1717年以降,清軍としばしば交戦。1745年から深刻な内紛が生じる中,オイラート4部の長をねらうアムルサナの献策に従って,55年から乾隆帝のジュンガル征服が始まり,58年清によって滅ぼされた。
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