ジルムンスキー(その他表記)Viktor Maksimovich Zhirmunskii

改訂新版 世界大百科事典 「ジルムンスキー」の意味・わかりやすい解説

ジルムンスキー
Viktor Maksimovich Zhirmunskii
生没年:1891-1971

ソ連邦の言語学者,文学史家。ペテルブルグ大学を卒業後ドイツに留学。1919年ペトログラード(現,サンクト・ペテルブルグ)大学のゲルマン語科の主任教授となり,英語学の主任も兼ねた。比較文学研究の古典として知られる《バイロンプーシキン》(1924)はこの時期の代表作である。このころフォルマリストと近づき,数多くの現代詩や文学理論に関する名著を書いた。その後ドイツ方言学,フォークロア研究の面で世界的な業績をあげた。第2次世界大戦後ジダーノフの批判を浴びた時期もあったが,晩年はレニングラード大学のM.P.アレクセーエフとともに,ソ連比較文学の代表者として世界的評価を受けた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ジルムンスキー」の意味・わかりやすい解説

ジルムンスキー
じるむんすきー
Виктор Максимович Жирмунский/Viktor Maksimovich Zhirmunskiy
(1891―1971)

ソ連の言語学者、ゲルマン学者、文学研究者。ペテルブルグ大学を卒業後ドイツの諸大学に学び、1914年には『ドイツ・ロマン主義と同時代の神秘説』を刊行。1920年代はロシア・フォルマリズム運動と論争しつつも近い立場にあり、『韻――その歴史と理論』(1923)や『韻律学入門――詩の理論』(1925)をはじめとする一連の詩学関係の著作を発表している。比較文学研究の古典『バイロンとプーシキン』(1924)を出したのもこのころである。その後の仕事も、ゲルマン語学、チュルク語学、一般言語学、方言学、民俗学東洋学など、きわめて多岐にわたっており、数多くの重要な仕事を残した。

桑野 隆 2018年6月19日]

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