スコットランド王国(読み)スコットランドオウコク

世界大百科事典(旧版)内のスコットランド王国の言及

【イギリス】より

…数世紀にわたる戦乱などによって戦士層の地位はますます上昇し,キリスト教に改宗以後は聖職者層も貴族の列に加わり,社会は〈祈る者〉(聖職者)と〈戦う者〉(貴族)とが広大な土地を所有して,〈耕す者〉(農民)を隷属的な農奴の地位に押し下げて支配・収奪するという封建化への道を進みつつあった。なお,アングロ・サクソンにより西部に追われたブリトン人は,ウェールズに数個の小王国をたてて分立し,またイングランドの北には,アイルランドから移ったスコット人が先住のピクト人やブリトン人と同化しつつスコットランド王国を形成した。
[中世後期――封建時代]
 ノルマン・コンクエストによってこれまでのアングロ・サクソンの貴族はノルマン貴族に取って代わられ,支配層は全面的に交替した。…

【エジンバラ】より

…イギリス北部,スコットランド東部のロージアン州の州都。スコットランド王国のかつての首都で,グラスゴーに次ぐスコットランド第2の都市。政治,学術,文化の中心地。…

【スコットランド】より

…従来の住民は北部に住みピクト人と呼ばれていたが,ウェールズからはブリトン人が南西部に来住し,6世紀後半にはアングル人が東部ローランドに定着。このうちスコット人が843年にピクト人を統合してアルバ王国を建設し,1034年にはその流れを汲むダンカン1世が上記4部族を統合してスコットランド王国を樹立した。 ダンカンよりマクベスを経て,マルコム3世が継承したのはケルト的社会で,教会もケルト教会の方式を多分に踏襲していた。…

※「スコットランド王国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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