ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ルートウィヒ2世」の意味・わかりやすい解説
ルートウィヒ2世
ルートウィヒにせい
Ludwig II
[没]1886.6.13. バイエルン,シュタルンベルク湖
バイエルン王(在位 1864~86)。マクシミリアン2世ヨーゼフの長男。1866年のプロシア=オーストリア戦争では,オーストリアに加担して敗北。1870年普仏戦争ではフランスの誘いを退けてプロシアとともにフランスと戦ったが,オットー・ビスマルクによるドイツ統一には不満であった。晩年内外の政治に対する不満から徐々に精神に異常をきたし芸術に逃避,宮殿建設のマニアとなり,ついにベルク宮脇のシュタルンベルク湖に身を投じた。音楽家リヒアルト・ワーグナーの保護者としても知られる。
ルートウィヒ2世(ドイツ王)
ルートウィヒにせい[ドイツおう]
Ludwig II, der Deutsche
[没]876.8.28. フランクフルト
東フランク王 (在位 843~876) 。カルル1世 (大帝) の孫。ルートウィヒ1世 (敬虔王)の3男。父の死後,末弟のカルル (のちの西フランク王カルル2世〈禿頭王〉) とともに長兄ロタール1世を破り,ベルダン条約 (843) でライン以東の東フランク王となった。一般にドイツ王国の建設者とされる。ロタール2世の死後,メルセン条約 (870) で中部フランクのロタリンギアの大半を併合。
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