百科事典マイペディア 「ロタール」の意味・わかりやすい解説 ロタール[1世]【ロタール】 フランク王(在位840年―843年),西ローマ皇帝(在位840年―855年)。父ルートウィヒ1世の死後,相続をめぐって弟のルートウィヒ2世,カール2世と戦って敗れ,843年ベルダン条約により王国を3分し,皇帝位およびイタリアと中部フランクを得た。→関連項目メルセン条約 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報 Sponserd by
日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロタール」の意味・わかりやすい解説 ロタール(1世)ろたーるLothar Ⅰ(795―855) カロリング朝フランク王国第3代の西ローマ皇帝(在位840~855)。ルイ(ルートウィヒ)1世の長子。父帝の生前から共同統治者として皇帝の称号を帯びていたが、父の死(840)後、弟ルートウィヒおよびシャルル(カール)を圧迫して、全王国の単独支配を企てたため、同盟した2人の弟と戦って敗れた。その結果、ベルダン条約(843)により、ロタール1世はイタリア、ブルグント、ロートリンゲン(ロレーヌ)の支配権と皇帝の称号を獲得したが、フランク王国は事実上3分割された。[平城照介] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
旺文社世界史事典 三訂版 「ロタール」の解説 ロタール(1世)Lothar Ⅰ 795ごろ〜855フランク王(在位840〜843),西ローマ皇帝(在位840〜855)カール1世の孫。父ルートヴィヒ1世の死後,兄弟と王位を争い,ヴェルダン条約で西ローマ皇帝の称号と中部フランク・イタリアを獲得した。帝の死後,再び遺領をめぐって相続争いが起こり,870年メルセン条約が結ばれた。 出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報 Sponserd by