ベルダン条約(読み)ベルダンジョウヤク

デジタル大辞泉 「ベルダン条約」の意味・読み・例文・類語

ベルダン‐じょうやく〔‐デウヤク〕【ベルダン条約】

843年、フランク王ルイ1世の死後、ロタール・ルイ2世・シャルル2世の三子ベルダンに集まり、遺領を3分することを決めた条約フランス・ドイツ・イタリア3国の形成出発点となった。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「ベルダン条約」の意味・読み・例文・類語

ベルダン‐じょうやく‥デウヤク【ベルダン条約】

  1. 八四三年、フランク王国カール大帝の遺領を三人の孫に分割相続することを定めた条約。メルセン条約とともに今日のフランス・ドイツ・イタリア三国形成の出発点となる。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「ベルダン条約」の意味・わかりやすい解説

ベルダン条約 (ベルダンじょうやく)

843年にルートウィヒ1世の3子の間で締結されたフランク王国の三分割条約。相続問題に起因して830年に始まったカロリング家内乱は,ルートウィヒ1世の死(840)後第3子ルートウィヒ2世および末子カール2世に対する長子ロタール1世の宗主権主張によって緊張を高めたが,841年のフォントノア・アン・ピュイゼにおけるロタール1世の敗北,翌年両弟が結んだシュトラスブルクの盟約により,843年8月ベルダンVerdunで,国土の平等分割を旨とする和平が成立した。これにより,ロタール1世は皇帝位と中部フランクおよび北イタリアを,ルートウィヒ2世は東フランク,カール2世は西フランクを領有することによって王国の分国支配体制が確立した。ベルダン条約は王国の一体性の保持を希求したが,実際には国家の東西への解体を準備し,また国土の分割も,内乱によって王権と競合する勢力を蓄えつつある帝国貴族層の主導下に,もっぱら経済的見地から実行されるなど,カロリング王家の衰退を刻印づけた。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「ベルダン条約」の意味・わかりやすい解説

ベルダン条約【ベルダンじょうやく】

843年フランス北東部のベルダンVerdunで締結され,フランク王国の3分割を定めた条約。ルートウィヒ1世の即位後,その子ロタール1世,ルートウィヒ2世,カール2世の3人が相続権をめぐって争っていたが,この条約によりそれぞれ中部フランクとイタリア,東フランク王国西フランク王国の王となることを定めた。この3王国が後のイタリア,ドイツ,フランス3国の起源である。→メルセン条約
→関連項目カロリング朝フランス

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベルダン条約」の意味・わかりやすい解説

ベルダン条約
べるだんじょうやく

843年ルートウィヒ1世の3人の子にフランク王国を分割した条約。ルートウィヒ1世は、晩年(838)にロタール1世、ルートウィヒ2世、カール2世(西フランク王としてはシャルル1世)の3子に王国を分割して与えたが、ルートウィヒ1世の死(840)後、これを不満とする兄ロタールに、ルートウィヒ2世とカールとが結んでロタールを破り、ストラスブールシュトラスブルク)の誓約によって同盟を固めた。国内の豪族たちも内乱の終結を望んで仲介にたったので、ロタールはやむなく平和交渉を開き、ベルダンVerdunで王国の3分割を取り決めた。その結果、ロタールの中部帝国(ロートリンゲン、ブルグント、北イタリア)、ルートウィヒ2世の東フランク王国(ライン川以東)、カールの西フランク王国(ローヌ川、ソーヌ川、シェルト川以西)が成立した。

[平城照介]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベルダン条約」の意味・わかりやすい解説

ベルダン条約
ベルダンじょうやく
Vertrag von Verdun; Traité de Verdun

843年ベルダンで行われたフランク王国3分割の取決め。ルートウィヒ1世 (敬虔王)の死後,ロタール1世,ルートウィヒ2世 (ドイツ王) ,カルル2世 (禿頭王) の3子は遺産を争い,長兄が皇帝権を相続すると,弟2人が同盟しフォントネーの戦い (841) で長兄を破り,領土の3分割を承認させた。ロタールは西ローマ皇帝位と中部フランクを,ルートウィヒは東フランクを,カルルは西フランクを領有した。東西フランクはそれぞれ後年のドイツおよびフランスの原型となった。なおメルセン条約 (870) で再分割が行われた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のベルダン条約の言及

【カロリング朝】より

…ルートウィヒ1世の理想主義はさらに教会の乗ずるところとなり,第6回パリ公会議は,王権を教会に奉仕するものと位置づけた。 843年のベルダン条約は,ロタール1世(ロタリンギア),ルートウィヒ2世(東フランク),カール2世(西フランク)の取分の線引きを明瞭にし,中世末まで唯一拘束力のある国際条約となった。しかしロタリンギアからは早期にイタリアとプロバンス両王国が分立し,残った狭義のロタリンギアは,メルセン条約(870)によって,ルートウィヒ2世とカール2世の間に分断された。…

※「ベルダン条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

世界の電気自動車市場

米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...

世界の電気自動車市場の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android