ステリンガの反乱(読み)ステリンガのはんらん

改訂新版 世界大百科事典 「ステリンガの反乱」の意味・わかりやすい解説

ステリンガの反乱 (ステリンガのはんらん)

841-843年ザクセンで起こった自由民ほか下層民の貴族に対する反乱カール大帝のザクセン征服(772-804)後,貴族は大幅な特権を認められ,これをてこに下層民の隷属民化・封建化を強行したため,下層民はステリンガStellingaと呼ばれる同盟を結び,反乱に立ちあがった。ルートウィヒ1世の死(840)後の相続をめぐるフランク帝国の内乱で,長子の皇帝ロタール1世が,次子東フランク国王ルートウィヒ2世と末子西フランク国王カール2世の連合軍に大敗した直後であり,ルートウィヒを支持するザクセンの貴族に対し,ロタールが背後でこの反乱をそそのかしたともいわれる。反乱は一応成功を収め,貴族たちを一時ザクセン人の領域から追放したが,彼らはルートウィヒ2世に救援を求め,国王の軍隊出動によって,842年8月反乱は鎮圧された。貴族たちは反乱の指導者150名以上を死刑にするという過酷な報復を行ったので,842-843年の冬,局地的反乱が再発したが,今回は貴族の力のみで鎮圧された。
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