改訂新版 世界大百科事典
「スシュルタサンヒター」の意味・わかりやすい解説
スシュルタ・サンヒター
Suśruta-saṃhitā
インド二大古典医学書の一つ。書物としての成立は後3~4世紀であるが,その背景にある医学派の歴史はきわめて古く,前数世紀にまでさかのぼることができる。カーシー(現,ワーラーナシー)地方の王ダンバンタリDhanvantariが弟子のスシュルタに教えを授けるという構成になっているが,いずれも伝説的人物であり,歴史的年代を定めることはできない。もう一つの古典医学書《チャラカ・サンヒター》が徹底して内科的治療を説くのに対し,《スシュルタ・サンヒター》には外科的治療法が詳しく語られている。おそらく戦場における外傷の治療が発展したものであり,ダンバンタリ王に代表されるクシャトリヤ層を社会背景としていたと思われる。
→インド医学
執筆者:矢野 道雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内のスシュルタサンヒターの言及
【アラビア医学】より
…一方,インドの医書もサンスクリット語から直接に,または中世ペルシア語(パフラビー語)訳からアラビア語に訳出されたものがあった。たとえば《[チャラカ・サンヒター]》という医学全書は,ペルシア語訳からアラビア語に重訳されたし,400年ころのスシュルタの《[スシュルタ・サンヒター]》はインドの医者マンカによって,アッバース朝の初期にアラビア語に訳されたが,同じマンカは《シャーナークShānāqの毒物書》をも訳した。シャーナークはマウリヤ王朝のチャンドラグプタ王の大臣チャーナキヤ(カウティリヤ)のことで,前4世紀の人であったという。…
【医者】より
…医者になるための学問に入門を許されるのは原則として上位3カーストに限られていた。しかしダンバンタリ系の書物《[スシュルタ・サンヒター]》は条件付でシュードラの入門を認めている。バラモンを中心とするアーリヤ人社会では〈穢(けが)れ〉の観念のために外科的治療を行う医者の地位は内科専門の医者の地位よりも低かった。…
【インド医学】より
…この書の著者というより改編者であるチャラカはカニシカ王の宮廷医であったといわれる。これより少し遅れてダンバンタリ学派の唯一の綱要書《[スシュルタ・サンヒター]》が成立した。両書とも互いに相手の学派の存在は知っているが,書物自体に対する言及はない。…
【仏教医学】より
…医学的記事が最も多く見いだされるのは三蔵のうちの〈律蔵〉であり,出家者の日常生活の規定の一部として医事・薬事が詳しく語られている。これらは《[チャラカ・サンヒター]》や《[スシュルタ・サンヒター]》が成立する以前のインド医学を知るために貴重な資料となっている。また文化の伝導体としての仏教が,教典と教団を通じて,周辺諸国へ医学を普及させたという社会的役割も見のがすことはできない。…
※「スシュルタサンヒター」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」