インド医学(読み)インドいがく

改訂新版 世界大百科事典 「インド医学」の意味・わかりやすい解説

インド医学 (インドいがく)

インダス文明の遺跡に見られる沐浴(もくよく)場や下水道は人々の公衆衛生への関心が高かったことを物語っているが,文字が解読されていない現在のところでは,当時の医学についてまだ多くを語ることはできない。アーリヤ人侵入ののち最初に成立した《リグ・ベーダ》にはすでに病気や薬草に関する賛歌があり,神々のあるものは病気を起こし,あるものは治療するものとして歌われている。《アタルバ・ベーダ》の場合はその大部分は調伏と増益を目的とする呪術的賛歌であるが,とくにその中核をなすのは病気治療のための呪文である。しかし薬草の知識や病気とその治療に関する経験が積み重ねられていくにつれて医学は呪術から独立していった。医学が知の体系へとまとめられ専門的学問になるのはちょうどインドにおいて自由思想が生まれ,ウパニシャッド哲人仏陀マハービーラが活躍した時代である。伝説的な名医ジーバカJīvaka(耆婆(ぎば))は仏陀の侍医であったといわれるし,仏陀の教え自体にもしばしば医療に関する比喩が用いられている。後の古典医学書に登場する伝説的な医者たちの多くも,歴史上の人物とすればこの時期に属するであろう。しかし体系化は一朝一夕にしてなされたわけではなかった。無数の試行錯誤をふくむ経験の蓄積が《アーユル・ベーダ》というゆるぎのない体系として確立し,その綱要書たる二大古典医書が最終的に編さんされるまでにはほぼ10世紀を要したのである。この体系化には二つの学派が貢献している。ひとつは北西インドのタキシラを中心とするアートレーヤ学派であり,もうひとつは東インドのベナレスワーラーナシー)に根拠を置くダンバンタリ学派である。両者には地域性による相違もあるが,著しいのは前者が徹頭徹尾内科的療法を行うのに対し,後者は多くの外科的療法を採用していることである。アートレーヤ学派には6種の綱要書が存在していたといわれるが,完全な形で現在まで伝えられているのは《チャラカ・サンヒター》のみである。この書の著者というより改編者であるチャラカカニシカ王の宮廷医であったといわれる。これより少し遅れてダンバンタリ学派の唯一の綱要書《スシュルタ・サンヒター》が成立した。両書とも互いに相手の学派の存在は知っているが,書物自体に対する言及はない。この両書をまとめるという明確な意図をもって登場する最初の歴史上の人物が7世紀に《アシュターンガフリダヤ・サンヒター(医学八科精髄集成)》を著したバーグバタである。この書はすべてが韻文からなり二つの医学書をみごとに統合しているのできわめてよく流布し,8世紀にはアラビア語とチベット語に翻訳された。以上が《アーユル・ベーダ》の体系全体を論ずる三大古典医書であり,これ以後は《マーダバ・ニダーナ(マーダバの病因論)》に代表される各論的な書物か,三大医書に対する注釈書という形をとったものが中心になる。現代でも《アーユル・ベーダ》の教育と研究はこれらの古典に基礎を置いているが,現実には13世紀以後のアラビア医学(ユナーニー),イギリス統治以後の西欧医学の影響を無視できない。

《アーユル・ベーダ》は病気の治療だけではなく幸福に長寿を全うすることを目的としている。したがって衣食住に関する養生法はもとより,精神生活についても詳しい規定をしている。基本理論はバータ,ピッタ,カパと呼ばれる三要素説に集約される。この世のいっさいのものはこれら三要素からなっており,人間においてその平衡が崩れた状態を病気と呼ぶのである。したがって病気の治療とは三要素の平衡を取り戻すことにほかならない。これにはいろいろな方法があるが,最も大切なのは広い意味での飲食物である。すべての飲食物は,甘・酸・苦・辛・塩・渋の六味を規準として分類され,三要素のいずれかを増大または減少させると考えられる。消化された食物はラサと呼ばれる液状になった後,順次血液,肉,脂,骨,髄という身体の要素となり,最後に最も純度の高い要素である精子になるのである。食物の助けとなるのが薬物であるが,その種類はきわめて多く,薬草だけでも1000種以上が古典医書にあらわれ,その目的と用法に応じて詳細に分類されている。実際の治療では〈パンチャ・カルマ〉と呼ばれる五つの療法が中心である。五つとは吐法,下法,油灌腸法,非油灌腸法,点鼻法である。ときには灌腸法をひとつに数え,瀉血法を加えることもある。この他発汗法や油剤法もよく用いられる。古典医学体系はふつう次の八つの部門からなるとされる。(1)異物摘出法(シャールヤ)身体に入り込んだ異物を除去する。(2)外部器官の病気,たとえば眼病,耳病,鼻病などの治療(シャーラーキャ)。(3)身体全般の治療(カーヤ・チキツァー)。(4)鬼神学(ブータ・ビドヤー)悪魔に取り憑かれて起こると信じられていた病気の治療。(5)小児病学(カウマーラ・ブリティヤ)産科学を含む。(6)毒物学(アガダ)解毒剤に関する知識。(7)不老長生法(ラサーヤナ)化学的療法。錬金術を含む。(8)強精法(バージー・カラナ)。ただし《チャラカ・サンヒター》は内科的療法しか認めないので(1)については論じていない。いっぽう《スシュルタ・サンヒター》は病気には外科的手術によって治療するものと薬によって治療するものと2種あるという立場を貫き,異物の場合も鏃(やじり)などの外的異物と腫瘍などの内的異物があり,いずれも手術によって除去できるとする。さらに切除,切開,乱刺,探針,刺絡,縫合などの方法や器具について詳しく述べ,執刀演習についても説いている。しかし不殺生(アヒンサー)の思想が定着するにつれて,バラモン社会では,人体にメスを入れること自体がはばかられ,まして解剖などは行われようがなかったから,《スシュルタ・サンヒター》の系統はインド医学の主流にはなり得なかった。後に解剖学に基礎をおく近代西欧医学が導入されるようになると,純粋伝統主義者たちはいっそうチャラカ的内科療法の正統性を主張するようになった。
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百科事典マイペディア 「インド医学」の意味・わかりやすい解説

インド医学【インドいがく】

アーユルベーダayurveda(〈生命の学問〉)として体系化されたインド医学は,おもに薬草を用いて病気の治療に取り組む。アーユルベーダの体系全体を論じる三大古典医学書は,北西インドで広まったアートレーヤ学派の《チャラカ・サンヒター》,中東インドに根拠を置くダンバンタリ学派の《スシュルタ・サンヒター》,さらに7世紀に両書をまとめた《アシュターンガフリダヤ・サンヒター》(医学八科精髄集成)がある。これ以後,チベット医学やヨーガを取り入れて発展し,17世紀以降は西洋医学の影響を強く受けた。今日ではアーユルベーダによる医師資格が認められ,研究体制が整備されている。病気は,欠陥や汚れを意味する〈ドーシャ〉が平衡を崩すことにより生じるとされ,治療の根本はドーシャの平衡を取り戻し身体の主要組織を正常に機能させることにある,というトリドーシャ(ドーシャの3要素)説が基本理論である。
→関連項目ホリスティック医療

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