スティーブンリーパー(その他表記)Steven Leaper

現代外国人名録2016 「スティーブンリーパー」の解説

スティーブン リーパー
Steven Leaper

職業・肩書
翻訳家 元広島平和文化センター理事長

国籍
米国

生年月日
1947年

出生地
イリノイ州

経歴
父のディーン・リーパーは、日本キリスト教青年会(YMCA)同盟協力主事として来日後、戦後の日本で、日米の相互理解に尽くしたが、1954年洞爺丸台風の海難事故で死去。のち三浦綾子の小説「氷点」「続氷点」の“命を与えた宣教師”のモデルになった。父の死後家族とともに帰国。17歳の時にYMCAの北海道ワークキャンプに参加して以来日本に興味を持ち、フロリダ州の大学卒業後、心理カウンセラーや英語教師を務める。’78年ウエストジョージア大学で臨床心理学の修士号を取得。’84年日本語を学ぶため来日。’85年広島で生活を始め、翌年妻と翻訳通訳会社を設立。のち翻訳家として原爆題材出版物を手掛けるうち核保有国の政策に疑問を持ち、反核運動に取り組む。’99年広島市に反核市民団体、グローバル・ピースメーカーズ・アソシエーション(世界平和活動家協会)を結成し、代表に就任ニューヨークで反核ロビー運動も展開。また米国の日系企業のコンサルタントの仕事にも携わる。一方、’93年日本人と働く米国人のために、問題解決の体験談や日本文化を紹介した日米文化交流情報誌「JAPAN RELATED―相互理解」を米国で出版。’94年日本でも発行を始め、以後隔月刊で刊行。2003年原爆資料館を運営する広島平和文化センター専門委員となり、2007年理事長に就任。2013年退任して米国へ帰国した。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

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